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新品 :32820119888
中古 :32820119888-1 |
メーカー | 34d133ad2d122b | 発売日 | 2025-06-09 21:32 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「渚宮東面煙波冷」白氏文集・漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる女三の宮の降嫁
閉じる左が冷泉院(冷泉天皇)、右が源氏の君
閉じる2000円札「源氏物語」鈴虫(拡大)
自筆「源氏物語」の「鈴虫(すずむし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。西国巡禮歌圖繪 上中下。
「鈴虫(すずむし)」の巻は、アメリカでは1個所、国立民族学博物館の貴重書として所蔵されております。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。
日本でも「国立民族学博物館所蔵『源氏物語』鈴虫として画像(カラー写真)が出版されており、出品原本と照合することができます。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 日本農村教育 (1943年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 工芸と社会 (1947年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。昇平夜話。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。聖道得門。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 産業連関分析 (1969年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。江戸名所図会。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。画帖 絵 書道。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。
出品した「源氏物語」は鈴虫(鈴虫)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。「鈴虫」の巻名は、八月十五日の夜、源氏の君と女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)が贈答した和歌「おほかたの下記をぼうしと知りにしをふりすてがたき鈴虫の声」による。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。夏、蓮の花の盛りの頃に女三のが持つ持仏の開眼供養が行われた。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。御帳台を仮の仏堂としては質素なものだった。【中古】 工芸概論 (1955年)。父・朱雀院(前朱雀天皇)や今上天皇からの心寄せもある。絵本初心柱立。八月十五日の夜、源氏の君は女三の宮の御殿(三条宮)を訪れ、鈴虫の音を賞美しながら女三の宮の和歌に唱和し琴も弾いた。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。そこへ蛍兵部卿や夕霧が訪れ管弦による演奏の宴になった。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。おりから冷泉院(前冷泉天皇)のお召しがあり、一同は参上し詩歌管弦の宴に興じた。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。冷泉院(前冷泉天皇)は源氏の君の訪問を喜び迎えた。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。冷泉院(前冷泉天皇)が私人として源氏の君と親しく対面することこそが退位閑居の目的でもあったからだ。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。
自筆上部の「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。【中古】 熱力学 (1971年)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」鈴虫(すずむし)の巻》
「鈴虫」の巻は英文で「The Bell Cricket」と表記されます。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。
《原本上部に「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の
東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)
という漢詩の落款が押捺。【中古】 人形に心あり (1956年)。鈴虫の原文に引用されている。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。吾嬬路記。
自筆上部の「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)という漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。
《「源氏物語」鈴虫(すずむし)の巻》
《原本上部に「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に
煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)「白氏文集」の漢詩の落款が押捺・鈴虫の原文に引用されている。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。》
《御さう(障)》・・・・し(子)もと(取)りはなちて、みす(御簾)かけたり。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。
そなたに人ゝはいれ給ふ。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。しつめて、宮にも、物の心しり給ふへきしたかたを、
きこえしらせ給ふ、いと、あはれにみゆ。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。御座を、ゆつりたまへる、
佛の御しつらひ、見やり給ふも、さまさまに、
「かゝる方の御いとなみをも、もろともに、急かんものとは、思ひよらさりし事なり。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。
よし、「後の世にたに、かの花の中の宿りに、へたてなく」とを、おもほせ」
とて、うち泣きたまひぬ。【中古】 仕事の世界 (1951年)。
「はちす葉をおなしうてなと契(ちきり)をきて露のわかるゝけふそかなしき」
と、御すゝり(硯)にさしぬらして、
かう(香)染なる・・・・《御扇に、か(書)きつけ給へり。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。
《「源氏物語」鈴虫の巻》
《「鈴虫の巻」国立民族学博物館に1部現存の原本と同じ「鈴虫」の貴重書
《夏、女三の宮(朱雀天皇の皇女)三条院(三条殿)の邸で持仏開眼供養を盛大に開催》
《源氏の君、女三の宮(朱雀天皇の皇女)の住む三条院で歌を詠み交わす》
《入道の宮(朱雀天皇の皇女・女三の宮)は、人が大勢いるのに
気圧(けお)されていらっしゃって、まことに小さくかわいらしい格好で、
うつぶしておいでになる。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。院(源氏の君)は、
(源氏の君)「若君(薫の君)がいては騒がしかろう。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。抱いてあちらにお連れしなさい」
などとおっしゃる。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。
北側の御襖(ふすま)》・・・・・もとり払って、御簾(みす)を掛けてある。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。
女房たちは、その中にお入れになる。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。それらを静かにさせてから、
入道の宮(朱雀天皇の皇女・女三の宮)にも、法会(ほうえ)の趣旨を
よくご承知いただくように前もって知識をお授け申されるが、そのご様子は、
ほんとにしみじみと情愛深くお見受けされる。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。
常のお居間をおあてになっている御仏のお飾り付けをごらんになるにつけても、
院(源氏の君)はさまざまの思いが去来し、
(源氏の君)「このような御仏のご供養をもあなたとごいっしょに
支度することになろうとは、思いもよらなかったことです。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。
まあそれも仕方あるまい。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。
せめてあの世では、同じ蓮の花の中でいっしょに暮せるようにとお思いくだされ」
とおっしゃって、院(源氏の君)はお泣きになった。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。
(源氏の君)「はちす葉を……(来世は極楽で同じ蓮の台の上に生れ変ろうと
お約束はしますものの、しかしこの世では露のこぼれるように別れて
暮さなければならないのが悲しいのです)」
と、院(源氏の君)は御硯(すずり)に筆先を濡(ぬ)らして、
尼宮(朱雀天皇の皇女・女三の宮)の
香染めの・・・・《御扇にお書き付けになる。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。》
備考・女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)は、柏木との子を出産した後、出家を決意するが源氏の君に三条院に仏堂を作ることで源氏の君の近くに住むことになる。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)は、御持仏(守本尊)の数々をお造りになってその開眼のご供養をされる。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。父朱雀院(前朱雀天皇)や今上天皇から盛大な贈物が贈られた。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。
《The Bell Cricket(鈴虫)》
Blinds hung along the north side of the room in place of the sliding doors,
and it was there that the women were gathered.
Asking for quiet, he gave the princess necessary instructions,
politely and very gently.
The sight of her bedchamber now made over into a chapel moved him to tears.
"And so here we are, rushing into monkish ceremonies side by side.
Who would have expected it?
Let us pray that we will share blossomstrewn lodgings in the next world."
Borrowing her inkstone, …《he wrote a poem on her cloves-dyed fan:》
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《鈴虫》
《北面的隔扇都已除去,》・・・・挂着子。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。侍女都退往那,
周清静了,源氏便把参与法会知之事先教三公主,
其用心甚可感激。都のてぶり。他看公主出自己的起居室来供奉佛像,
心中不感慨,道:“我和人共同佛堂,真乃意想不到之事!
但愿后世同生土,在同一花中睦共。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。”流下泪来,吟云:
“誓愿他年座共,心悲今日泪分流。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状 歴史的逸品。”
便取向中墨,把写在公主所用的丁香汁・・・・《染成的扇子上。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。》
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」鈴虫の巻の末尾(原本番号16-A)の押印。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。
左端の2つの印が仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。冬姫は内大臣・通誠の養女。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。
冬姫は通称。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 簿記教科書 (1956年)。左端の写真は「鈴虫の巻」末尾の拡大写真。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。
左上は、「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)の印。古書 江戸時代 貝原篤信 貝原益軒 新編 増補和漢名數 上・下 元禄五年。左下は仙台藩の家紋印
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。)
「近衛基熙の肖像」
1番上の写真は、2000円札に描かれた国宝「源氏物語」鈴虫
2000年に発行された二千円札の裏には、この国宝「源氏物語絵巻・鈴虫」の第一段
の詞書と、第二段の絵が印刷されています。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。左が冷泉院(前冷泉天皇)右は源氏の君
2番目の写真は、2000円札に描かれた国宝「源氏物語」鈴虫(拡大)
3番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。皇朝史略 8冊。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
4番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
「源氏物語」「鈴虫の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1段目右の写真は、国立民族学博物館所蔵「源氏物語」のうち「鈴虫の巻」(日本版)の表紙
1段目の左の2枚の写真は「鈴虫の巻」原本の1(上段)、及び原本の2(下段)・国立民族学博物館所蔵
上から2段目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3段目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)の漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。この意味は、柏木は決して良い環境にいるわけではないという源氏の君の心境をあらわしている。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 日本の映画 (1956年) (三一新書)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために漢詩の「白氏文集」披露したものです。【中古】 伊勢丹七十五年の歩み (1961年)。茶会の際に落款に記された由来と内容を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。吉田兼好『絵入つれつれ草 系図入読僻附』(全2冊揃)元禄7年版後印本(江戸中期刊)徒然草 江戸時代和本。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 人間の壁 中編 (1959年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見一件留帳 54丁 藩主井伊直弼来村⑪ 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240122。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 私の人生探求 (1962年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 日本行刑史 (1961年)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 目標管理システム (1967年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 日本簿記史談 (1971年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。送料込(沖縄以外) 昭和6年 山陽先生遺墨集 恩賜京都博物館編 2冊 小林寫眞製作所。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 日本上古音楽史 (1935年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【洛座】江戸時代 安永年号 宇佐行事絵巻物等写 諸国生活絵本 古書 3冊<◆748。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。鈴木重春『番匠秘事』(2冊)正徳4年 須原屋茂兵衛蔵版 お堂の大工雛形集 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 仏教建築。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 新しい写真の考え方 (1957年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 宋明時代儒学思想の研究 (1962年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 雪と岩 (1961年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 味百年 食品産業の歩み (1967年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 地方財政の理論と実態 (1955年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。フローベール全集 全11冊。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 生活指導の実践過程 (1960年) (現代教育全書)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 成長する会社 (1963年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 宗教学概論 (1960年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 シネクティクス 才能を組織しアイデアを開発する (1964年)。幼名は多治丸。文芸類纂。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 スーパーマーケット 流通革命の先駆者 (1962年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 都市社会学研究 (1959年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。★0522和本江戸嘉永元年(1848)呪い占い護符「増補呪詛調法記大全」全1冊/大江匡弼(大江文坡)/古書古文書/木版摺り。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 中世祭祀組織の研究 (1962年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。貴少!/[大分縣管内之圖・明治中期頃・手写復元]/外表紙付。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。x011 匠家雛形 増補初心伝 6冊揃 大正11年 ■宋栄堂蔵版 和本 古書 建築 大工 規矩術 構法 木割術。
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