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専門店では 桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B 和書

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メーカー 6fde49d383 発売日 2025-05-14 12:05 定価 25000円
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専門店では 桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B 和書

桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_画像1 桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_画像2 桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_「背燈隔帳不得語」白氏文集の有名な漢詩 閉じる

「背燈隔帳不得語」白氏文集の有名な漢詩

桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_仙台藩医・木村寿禎の落款 閉じる

仙台藩医・木村寿禎の落款

桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_原本の断層画像写真 閉じる

原本の断層画像写真

桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_国宝・中の君(左下)絵巻を見る浮舟(左上) 閉じる

国宝・中の君(左下)絵巻を見る浮舟(左上)

桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_東屋(源氏物語・国宝・拡大) 閉じる

東屋(源氏物語・国宝・拡大)

桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_浮舟(今上天皇の皇子)をのぞき見る匂宮 閉じる

浮舟(今上天皇の皇子)をのぞき見る匂宮

桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道53-B_琵琶を弾く匂宮と中の君(国宝拡大) 閉じる

琵琶を弾く匂宮と中の君(国宝拡大)

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「東屋(あづまや)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。

「東屋の巻」の主人公は、源氏の君と女三の宮の皇子・薫の君と今上帝天皇と明石中宮の皇子・匂宮、そして大君(おおいきみ)に似た美しさを持つ浮舟とのきらびやかな恋物語が描かれている

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。修正民法草案 明治発行。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。現在の今上天皇と系譜がつながっている。西国巡禮歌圖繪 上中下。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 日本農村教育 (1943年)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 工芸と社会 (1947年)。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。また、各巻ごとの書かれた年については不明。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。従って、応永五年とは、書き始めの年である。昇平夜話。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。聖道得門。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管  開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家  書状 古文書。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 産業連関分析 (1969年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。江戸名所図会。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。


 出品した「源氏物語」は東屋(あづまや)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。東屋の巻は、源氏の君と女三の御子、薫の君と今上天皇の皇子・匂宮、そして、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮を父とする浮舟の恋物語を描いております。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮を父とする。画帖 絵 書道。八の宮のなきあと宇治にこもる大君と中の君の姉妹のうち、大君との結婚を望む薫の君(母は、前朱雀天皇の皇女・女三の宮)は老女房の弁たちの手引きで大君の寝所に入るが大君は気配に気づき隠れてしまう。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。大君と結ばれぬまま終わった薫の君は深い悲嘆に沈む。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。ある日、浮舟の母・中将の君はつてを頼って中の君の住む二条院に身を寄せる。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮を父とし正室の間に生まれた姉妹であるが、浮舟は正室とは違う異母・母の中将の君の元に生まれたため、父は認知をしなかった。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。浮舟が中の君の異母妹であったこと知る美しい女性であった。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。中の君を妻とする匂宮(今上天皇と明石皇后の皇子)は、偶然邸内で浮舟を見つけた匂宮は浮舟に恋をつのらせる。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。薫の君は、大君とうりふたつの美しい浮舟が二条院にいることを知り、弁の尼の協力を得て宇治の山荘にかくまう。【中古】 工芸概論 (1955年)。薫の君はかなわなかった大君を重ねて恋の思いをつのらせていく。絵本初心柱立。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

原本自筆上部に「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)という漢詩文の落款が押捺されている。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。「背燈は、灯を壁に向けて暗くする」で、「灯燭を後ろに向けて暗く、帳(とばり)を隔てて 言葉を交わすことはできません。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。」という意味。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。唐の玄宗皇帝が絶世の美女・楊貴妃の霊魂のために帳(とばり)をもうけ、皇帝自身は別のとばりの中で楊貴妃のよみがえりを待ち続けたことを白楽天が漢詩にしたものです。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。篆書印は、薫の君が大君(おおいきみ)をしのびつつ、浮舟の中に大君の再来を望む生命の移行をこめたものとされている。【中古】 熱力学 (1971年)。紫式部が「東屋」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》
「東屋」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。【中古】 人形に心あり (1956年)。
《自筆上部の「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。「背燈は、灯を壁に向けて暗くする」で、「灯燭を後ろに向けて暗く、帳(とばり)を隔てて 言葉を交わすことはできません。吾嬬路記。」という「白氏文集」の中の有名一節です。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。》

「額縁入自筆原本」
A
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。)

「自筆原本」

自筆右下の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。

自筆上部の「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)
という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。


《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》
《「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)
という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。【中古】 仕事の世界 (1951年)。》

《浮舟の母、娘の良縁を願う》
《中の君、薫の君に浮舟を薦める》
《山みち(道)》・・・・に、たはやすくもえ思ひ立たてなむ、
とはへりし」と聞こゆ。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。「人ひとのかくおそろしくすめる道に、
まろこそ古りかたく分け来れ。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。何はかりの契りにかと思ふは、
あはれになむ」とて、例の、涙くみたまへり。●極上和本YM3322●女学範 大江玄圃 久川靭負 明和5年 稀書往来物 女訓書 菱屋四郎右衛門板 水戸藩儒・青山家旧蔵書。
「さらは、その心やすからむ所に、消息したまへ。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。
みつからやは、かしこに出てたまはぬ」とのたまへは、
「仰せ言を伝へはへらむことはやすし。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。今さらに京を
見はへらむことはもの憂くて、宮にたにえ参らぬを」と聞こゆ。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。
《第二段 薫、弁の尼に依頼して出る》
「なとてか。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。ともかくも、人の聞き伝へはこそあらめ、
愛宕の聖たに、時に従ひては出てすやはありける。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。
ふか(深)きちかひ・・・・《をやふ(破)り》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。


《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》
《桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋》

《桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君の子・浮舟(大君と中の君とは異母姉妹)の良縁を期待する母君》
《浮舟の母君(中将の君)、中の君に浮舟の庇護を依頼する》
《浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く》
《薫の君、宇治を訪ね新造の御堂を見る》
《薫の君、浮舟への仲介を尼君(弁の尼君)に依頼し京に戻る》
《(尼君)「先日、その母君(浮舟の母)から手紙がございました。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。
それによりますと、姫君(浮舟・大君と中の君とは異母姉妹)はものいみの
方違(かたたが)えをするといって、あちこち転々としておいでのようです。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。
このごろも、粗末な小家に隠れてお暮しなのもお気のどくですから、
宇治の地がもう少し近い所でしたら、そちらへおあずけすれば安心なのでしょうが。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。
途中が険しい山道なので容易には決心もつきませんで、とございました」
と姫君(浮舟)の近況を記た母君(浮舟の母)からの
お手紙の内容を申しあげる。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。大将(薫の君)は、
(薫の君)「誰もがそんなにおそろしがっているような山道》・・・・・・を、このわたしは
よくぞ相も変らず分け入ってきたのですね。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。
どれほど深い前世の因縁によるのかと思うと、感慨も無量です」
とおっしゃって、いつもの癖で涙ぐんでいらっしゃる。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。
(薫の君)「では、その気の置けない姫君(浮舟)の隠れ家へお便りしてくだされ。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。
あなたご自身そこまで出向いてくださるわけにはまいらぬか」
とおっしゃると、尼君(弁の尼君)は、
(尼君)「仰せ言をお伝えいたしますのはたやすいことでございます。●極上和本YM3330●新用文章[新板用文障・新板用文章](寛文板系統、有郭・頭書本4種)稀書往来物。
ただ、いまさら京の土を踏むとなりますのもおっくうで。【中古】 あらびあんないと事典 (1961年)。
宮(匂宮・今上天皇の皇子)のお邸(やしき)にさえ伺えずにおりますものを」
と申しあげる。春画  浮世絵 和本 艶本 秘本。
(薫の君)「どうしてそんな気がねがいりましょう。都のてぶり。
人があれこれ取り沙汰するというのでしたらともかく、愛宕(あたご)の聖(ひじり)でさえ、
時によっては京に出ていったではありませんか。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。固い誓願を・・・・《破ってでも
人の願いをお聞き届けになるからこそありがたいのでしょう」
とおっしゃる》

備考・大将殿は権大納言兼右大将で今上天皇と麗景殿女御の皇女・女二の宮を正室に迎えている薫の君。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津  古文書  書状  歴史的逸品。浮舟は桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君の御子。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。八の宮の兄は源氏の君と朱雀天皇。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。浮舟は八の宮の娘であるが父の認知を受けなかったため常陸介の後妻となった中将の君の連れ子として常陸介の家で成長した。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君、中の君姉妹と浮舟は異母姉妹である。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。このため大君と似た浮舟に薫の君が惹かれている。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 簿記教科書 (1956年)。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。


《The Eastern Cottage(東屋)》
"And here I am.
All these years I have been coming over
the roads that frighten them so.
Why should it be?
What have we inherited from other lives to account for it?"
As was so often the case, there were tears in his voice.
"Send off a message, if you will,
to wherever it is that she seems to think so safe.
Or might I ask you to go yourself?"
"It would be very easy to pass on a message,
but I am afraid I am no longer up to going into the city.
I do not even think of visiting my lady."
"You must be bolder. If we see that no one knows, then no one will talk.
After all, even the hermits on Atago went to the city occasionally.
And you know it is a good thing to break the most solemn
vow if it means making someone else happy."


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。古書 江戸時代 貝原篤信 貝原益軒 新編 増補和漢名數 上・下 元禄五年。


《東屋》
信中道:‘目前避在一陋之小屋中,甚是可怜。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。
如果宇治京稍近,思托庇,以求安心。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。
然而山路崎,往来非易事。【中古】 京の町かどから (1962年)。’”薰大将:
“大家都怕走山路,只有我一向不,
常常跋而来。【中古】 判例婚姻予約法解説 (1935年)。是何等深厚的宿,
想起了感慨无量!”到里,照例流下泪来。明治保育文献集 全10冊 岡田正章監。
又:“那,就写一封信,
送到无人注目的小屋中去。【中古】 新しい社会と新しい経営 (1957年)。
且慢,是自去走一遭。【中古】 演出者の手記 (1948年)。”
弁君答道:“要尊意,事甚容易。古文書 大徳寺塔頭真珠庵・二十世住持 太室宗宸 直筆書状(室谷仁兵衛・宛)文政京都地震直後の様子を伝える一級史料 巻子仕立 超貴重。


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。【中古】 宗教哲学 (1955年) (現代キリスト教シリーズ 第9 )。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。【中古】 純潔について (1950年)。


「東屋の巻」原本の末尾(原本番号66-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印

左の写真が「源氏物語」東屋の巻の末尾(原本番号66-B)の押印。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。皇朝史略 8冊。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 御岳の歴史 (1966年)。
冬姫は通称。m◆6* 補義荘子因 獨見附標 全6冊揃 浪華書肆 前川文栄堂 和本 古書  /P6。正式な名は伊達貞子。☆E0116和本江戸期田沼意知暗殺写本「始末太平記」5冊揃い/古書古文書/手書き/天明七年御買上米一件/田沼意次。左端の写真は「東屋の巻」末尾の拡大写真。古今合璧事類備要 附索引 全4冊 中文 宋・謝維新撰。
左上の篆書体は、「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)の押印。【中古】 人物にっぽん音楽誌 明日のために・この12の個性について考える (1963年)。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 世界音楽教育史 (1958年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 映画とともに (1953年)。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。英烈遺事。



(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。【中古】 政府と人民 (1955年) (時代の窓)。筆者は近衛関白政家公。【中古】 文学の宿命 (1940年)。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。此花 雅俗文庫 宮武外骨 3,8,6,7,5,9枝 破蕾号 2 洞落号 4枝 10号 合本2冊 浮世絵研究誌。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。【中古】 吊構造 (1975年)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。【中古】 コトバことば言葉 (1960年)。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。私の見た霊界と永生 岩橋武夫 昭10 ヘレン・ケラー エスペラント キリスト教新約聖書神学宗教カトリックプロテスタントルターカルヴァンOF。上下2段の花押のうち、上の印は。【中古】 近代絵画史 (1962年)。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」


(出品した自筆の「断層画像写真」(東屋の巻)MRI 50―53B
自筆二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款


「源氏物語」「東屋の巻」主人公・東屋の資料

下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる中の君と浮舟。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。


「源氏物語絵巻 」東屋一(国宝)髪を梳かせている中の君(左下)と、
女房に詞書を読んでもらいながら絵物語に見入る浮舟(中央上)




「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」


1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 経済原論 上巻 (1950年)。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行



大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。

漢詩文原文上部に「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 日本の映画 (1956年) (三一新書)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 伊勢丹七十五年の歩み (1961年)。
源氏物語「東屋」原本に記されております。吉田兼好『絵入つれつれ草 系図入読僻附』(全2冊揃)元禄7年版後印本(江戸中期刊)徒然草 江戸時代和本。紫式部が「東屋」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「東屋の巻」を書いていることがわかります。【中古】 人間の壁 中編 (1959年)。この原詩の言葉の引用は、「東屋の巻」に用いられていることで広く知られている。太陽 明治28年(創刊号~12号)復刻。。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。神兵稜威考。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見一件留帳 54丁 藩主井伊直弼来村⑪ 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240122。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。【中古】 私の人生探求 (1962年)。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。【中古】 日本行刑史 (1961年)。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。【中古】 目標管理システム (1967年)。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。【中古】 日本簿記史談 (1971年)。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。【中古】 図説理化実験指導法 (1954年)。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。【中古】 若者制度の研究 若者条目を通じて見たる若者制度 (1936年)。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 元文二 古文書。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 民主的社会主義 (1960年)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 日本武器概説 (1943年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 護謨の研究 (1936年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。送料込(沖縄以外) 昭和6年 山陽先生遺墨集 恩賜京都博物館編 2冊 小林寫眞製作所。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 日本上古音楽史 (1935年)。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。【洛座】江戸時代 安永年号 宇佐行事絵巻物等写 諸国生活絵本 古書 3冊<◆748。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。鈴木重春『番匠秘事』(2冊)正徳4年 須原屋茂兵衛蔵版 お堂の大工雛形集 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 仏教建築。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 新しい写真の考え方 (1957年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 宋明時代儒学思想の研究 (1962年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 雪と岩 (1961年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 味百年 食品産業の歩み (1967年)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 地方財政の理論と実態 (1955年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。フローベール全集 全11冊。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。【中古】 生活指導の実践過程 (1960年) (現代教育全書)。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。【中古】 成長する会社 (1963年)。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。【中古】 宗教学概論 (1960年)。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。【中古】 シネクティクス 才能を組織しアイデアを開発する (1964年)。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。文芸類纂。額縁は新品です。【中古】 スーパーマーケット 流通革命の先駆者 (1962年)。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 都市社会学研究 (1959年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。★0522和本江戸嘉永元年(1848)呪い占い護符「増補呪詛調法記大全」全1冊/大江匡弼(大江文坡)/古書古文書/木版摺り。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 中世祭祀組織の研究 (1962年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。貴少!/[大分縣管内之圖・明治中期頃・手写復元]/外表紙付。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。1933年 支那陶窯史 支那陶磁源流圖考 検索⇒ 青瓷 秘色瓷 汝州窯 哥窯 白瓷 官窯 民窯 天目 釉裏紅 兎豪 均窯 影青瓷 定窯 建窯 蘇泥 祭紅。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 産業社会の展開と市民社会 (1964年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。x011 匠家雛形 増補初心伝 6冊揃 大正11年 ■宋栄堂蔵版 和本 古書 建築 大工 規矩術 構法 木割術。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 神の代理人 (1964年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。日本の民俗 全47冊。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 生態系の構造と機能 (1973年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 日本農村社会の構造分析 村落の社会構造と農政滲透 (1954年)。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。御家中列帳 信州上田藩士分限帳 寛政七年九月改。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 明治地方制度成立史 (1967年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 国語アクセント論叢 (1952年)。幼名は多治丸。【中古】 財政新時代 (1966年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 財政学 批判的・理論的解説 (1932年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。☆3032和本江戸嘉永2年(1849)写本「天下茶屋敵討郷談記」5冊揃い/備前国和気郡新庄村(岡山県備前市)/古書古文書/手書き。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。古文書 和書 「梅里先生寿蔵碑講義」 水戸 水戸光圀 瑞竜山 栗田勤 講演録 茨城県 歴史資料 郷土資料 常陸太田 (レターパックライト発送)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 天皇? (1953年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。古書 俳句 古文書 詩集 全52ページ。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。本 古書 「毛筆 ペン 常用漢字のくづし方」 昭和11年(1936年) 坂原担山書  洛東書院。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。【中古】 忘れられている安全保障 (1967年)。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 明治屋食品辞典 第2 食料編 (1963年)。


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