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新品 :32820119428
中古 :32820119428-1 |
メーカー | 85d82983e743cf | 発売日 | 2025-05-22 09:34 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「上楼空望往来船」白氏文集の有名な漢詩
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる玉鬘邸を訪れる薫の君(国宝・竹河Ⅰ)
閉じる玉鬘邸で碁を打つ姫君(国宝・竹河Ⅱ)
閉じる碁を打つ2人の姫君(大君・中の君)拡大
閉じる桜を愛でる2人の姫君(大君・中の君)拡大
閉じる玉鬘家系図
自筆「源氏物語」の「竹河(たけかわ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。法忍律師歌詠。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。修正民法草案 明治発行。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。西国巡禮歌圖繪 上中下。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 日本農村教育 (1943年)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 工芸と社会 (1947年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。昇平夜話。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。聖道得門。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 産業連関分析 (1969年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。江戸名所図会。
出品した「源氏物語」は竹河(たけかわ)の内容の要旨
「竹河」(たけかわ)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。薫の君、14歳から23歳までの恋物語。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。薫の君15歳の正月下旬、髭黒大政大臣の正室であった玉鬘(たまかずら)の姫君の邸に薫の君や蔵人少将(夕霧の子息)が集い催馬楽の「竹河」を謡い興じていた。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。その席で玉鬘(たまかずら)の姫君は薫の君が弾く和琴の音色がなき弟の柏木の音色に似ていることに気づく。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。3月の桜の花盛りの夕暮れ時、玉鬘(たまかずら)の二人の姫君が御簾をあげ、桜の木を賭け碁を打っていた。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。蔵人少将(夕霧の子息)はその姿を見て二人の姫君のうち姉の大君への思いを募らせていく。画帖 絵 書道。薫の君、蔵人少将と玉鬘(たまかずら)の二人の姫君のきらびやかな恋物語が描かれている
原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)玉鬘には美しい二人の姫君(大君・中の君)がいる。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。(八の宮の姫君とは別)二人の姫君には冷泉院(前冷泉天皇)、今上天皇、そして蔵人少将(夕霧の子息)というきらびやかな求婚者がいる。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。しかし、髭黒大政大臣という夫のなきあと、玉鬘は朱雀天皇の皇后で明石中宮の権力に圧倒されていた。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。明石中宮という圧倒的な権力者の前に自分の立場が風前の灯であることを悟る。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
「竹河」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。【中古】 工芸概論 (1955年)。
《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)漢詩文の落款が押捺されている。絵本初心柱立。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。
自筆右下の下の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の
落款が押捺されている。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。漢詩文の落款が押捺されている。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。【中古】 熱力学 (1971年)。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 人形に心あり (1956年)。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
さすかにかなしきを。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。あはれと思ふとはかりたに、
ひとこと(一言)のたま(宣)はせは、それにかけとゝめられて、
しはしもなか(長)らへやせむ」なとあるを、もて参りて、み(見)れは、
姫君ふた所うちかた(語)らひて、いといたうくつ(屈)し給へり。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。
よる(夜)ひる(昼)もろともにならひ給ひて、中の戸はかりへた(隔)て
たるにしひんかし(西東)をたに、いといふせき物にし給ひて、
かたみにわた(渡)りかよ(通)ひおはするを、よそよそにならむこと(事)を
おほ(思)すなりけり。吾嬬路記。心ことにしたて引きつくろひ奉り給へる御さま、
いとおかし。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。との(殿)ゝおほ(思)しのたま(宣)ひしさまなとを
おほ(思)し出て、物あはれなるおり(折)からにや、と(取)りてみ(見)給ふ。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。
おとゝきた(北)のかた(方)の・・・・《さはかり》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
《太政大臣の正室・玉鬘の姫君(大君・中の君)への冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の求愛物語・自筆「源氏物語」「竹河」の原文》<BR>
《玉鬘の姫君の娘(大君)、冷泉院、今上帝から求婚される》
《正月下旬、薫の君、玉鬘邸を訪問し源少将(夕霧の子息)と宴を催す》
《桜の下、蔵人少将(夕霧の子息)玉鬘の二人の姫君(大君と中の君)の囲碁を隙間見る》
《大君・冷泉院(前冷泉天皇)の許に輿入れ》
《藤中納言だけはご自身お越しになって、中将(左近中将・玉鬘の子息)や
弁の君たちといっしょに行事をとりしきられる。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。
殿(髭黒大将・大臣)がご存命でいらっしゃったらと、何事につけても
胸にせまるものがある。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。
蔵人の君(夕霧の子息)は、例の女房に悲痛な言葉をあるかぎり書き並べて、》・・・・
(蔵人の君・夕霧の子息)「いよいよこれでおしまいかとあきらめていたわたしの命ですが、
それでもやはり悲しくてならない。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。せめて、かわいそうに思うとだけでも
一言おっしゃってくださるのだったら、そのお言葉に命もつなぎとめられて、
しばらくでも生きていられるかもしれません」
などとあるのを姫君(大君)のもとに持参して、見ると、姫君(大君)は
お二方(大君と中の君)で話し合っていて、ひどく沈み込んでいらっしゃる。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。
夜も昼もずっとつねにごいっしょにいらっしゃって、中の戸だけで隔てられたお部屋が
西東に分れているのさえじつにうっとうしい仕切りのようにお思いになって、
お互いに行き来していらっしゃるのだから、これから別れ別れになることを
悲しくお思いなのであった。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。
格別に念入りなご用意をととのえて、身づくろいを立派にして
さしあげられた姫君(大君)のお姿はまったくお美しく見える。【中古】 仕事の世界 (1951年)。
姫君(大君)は、なき殿(髭黒大将・大臣)がお考えにもなり、またおっしゃっても
いられたことなどをお思い出しになって、何かとしみじみとしたお気持で
いらっしゃった折だったからか、少将(蔵人の君・夕霧の子息)の手紙を
手に取ってごらんになる。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。
(大君)「父大臣(夕霧)と母北の方(夕霧の正室・雲井雁)の・・・・
《お二方ともあれほどご健在で、前途になんの不安もない御身の上で、
どうしてこうもつまらないことを思ったり言ったりするのかしら」》
追記・玉鬘の姫君(大君)に対し、冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の二人から、入内の要請が来ており、玉鬘の姫君が迷っている場面を記しております。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。
備考・玉鬘の二人の姫君のうち大君(姉君)は冷泉院(前冷泉天皇)の妻となり、中の君(妹君)は今上天皇の妻となる。●極上和本YM3322●女学範 大江玄圃 久川靭負 明和5年 稀書往来物 女訓書 菱屋四郎右衛門板 水戸藩儒・青山家旧蔵書。今上天皇の正室(皇后)は明石中宮で匂宮の母君。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・八の宮の姫君(大君・中の君)とは別人。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。八の宮の姫君・中の君はのちに、今上天皇の皇子・匂宮の妻となる。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。
《Bamboo River (竹河)》
"My life is at an end.
I am resigned and yet I am sad.
Say that you are sorry.
Say only that, and I shall manage to struggle on
for a little while yet, I think."
She found the two sisters together, looking very dejected.
They had been inseparable, thinking even a closed
door an intolerable barrier; and now they must part.
Dressed for her presentation at the Reizei Palace,
the older sister was very beautiful.
It may have been that she was thinking sadly of the
plans her father had had for her.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《柯根(竹河)》
“我命限于今日,在不悲。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。
但得大小姐一言:‘我可怜。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。’或可此延命,
生存于世。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。”中将把信呈送大女公子。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。
此姐妹二人正在,相黯然魂。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。往常人昼夜聚首,
如影随形。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。居西室,中一界,犹嫌疏隔太,
彼此常相往来。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。思念今后燕分,愁何以堪忍。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。
今天大女公子打扮得特究,容姿甚。●極上和本YM3330●新用文章[新板用文障・新板用文章](寛文板系統、有郭・頭書本4種)稀書往来物。
回想父生前的前程而的,
不依恋之情。【中古】 あらびあんないと事典 (1961年)。正在此,接到藏人少将的信。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。都のてぶり。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。
左の写真が「源氏物語」竹河の巻の末尾(原本番号41-B)の押印。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状 歴史的逸品。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。
冬姫は通称。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。正式な名は伊達貞子。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。左端の写真は「竹河の巻」末尾の拡大写真。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。
上の篆書体は、「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)の押印。【中古】 簿記教科書 (1956年)。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。古書 江戸時代 貝原篤信 貝原益軒 新編 増補和漢名數 上・下 元禄五年。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(竹河の巻)MRI 44―23B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 宗教哲学 (1955年) (現代キリスト教シリーズ 第9 )。
「源氏物語・国宝」「竹河の巻」主人公の資料
下記写真は、「国宝・竹河・源氏物語絵巻」の中に描かれる玉鬘の姫君(大君・中の君)
「源氏物語絵巻 」竹河(国宝)玉鬘の姫君(大君・中の君)の侍女
右下は、玉鬘の姫君(大君・中の君)と御簾の外からかいま見る夕霧の子息・蔵人少将。【中古】 純潔について (1950年)。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「竹河」原本に記されております。【中古】 人物にっぽん音楽誌 明日のために・この12の個性について考える (1963年)。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「竹河の巻」を書いていることがわかります。【中古】 世界音楽教育史 (1958年)。この原詩の言葉の引用は、「竹河の巻」に用いられていることで広く知られている。【中古】 映画とともに (1953年)。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。英烈遺事。
「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の落款が押捺されている。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 日本の映画 (1956年) (三一新書)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 伊勢丹七十五年の歩み (1961年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。太陽 明治28年(創刊号~12号)復刻。。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。神兵稜威考。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見一件留帳 54丁 藩主井伊直弼来村⑪ 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240122。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 私の人生探求 (1962年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 日本行刑史 (1961年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 日本武器概説 (1943年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 護謨の研究 (1936年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。送料込(沖縄以外) 昭和6年 山陽先生遺墨集 恩賜京都博物館編 2冊 小林寫眞製作所。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 日本上古音楽史 (1935年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【洛座】江戸時代 安永年号 宇佐行事絵巻物等写 諸国生活絵本 古書 3冊<◆748。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。鈴木重春『番匠秘事』(2冊)正徳4年 須原屋茂兵衛蔵版 お堂の大工雛形集 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 仏教建築。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 新しい写真の考え方 (1957年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 宋明時代儒学思想の研究 (1962年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 雪と岩 (1961年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 味百年 食品産業の歩み (1967年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 地方財政の理論と実態 (1955年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。フローベール全集 全11冊。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 生活指導の実践過程 (1960年) (現代教育全書)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 成長する会社 (1963年)。幼名は多治丸。【中古】 宗教学概論 (1960年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 シネクティクス 才能を組織しアイデアを開発する (1964年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。文芸類纂。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 スーパーマーケット 流通革命の先駆者 (1962年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 都市社会学研究 (1959年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。★0522和本江戸嘉永元年(1848)呪い占い護符「増補呪詛調法記大全」全1冊/大江匡弼(大江文坡)/古書古文書/木版摺り。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。1933年 支那陶窯史 支那陶磁源流圖考 検索⇒ 青瓷 秘色瓷 汝州窯 哥窯 白瓷 官窯 民窯 天目 釉裏紅 兎豪 均窯 影青瓷 定窯 建窯 蘇泥 祭紅。
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