《The Lady at the Bridge(橋姫)》 Her name was Bennokimi, and the Eighth Prince had her in constant attendance upon his daughters. Though in her late fifties, she was still favored with the graces of a considerably younger woman. Her tears flowing liberally, she told him of what an unhappy life "the young captain," Kashiwagi, had led, of how he had fallen ill and presently wasted away to nothing. It would have been a very affecting tale of long ago even if it had been about a stranger. Haunted and bewildered through the years, longing to know the facts of his birth, Kaoru had prayed that he might one day have a clear explanation. Was it in answer to his prayers that now, without warning, there had come a chance to hear of these old matters, as if in a sad dream?
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「橋姫(はしひめ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。法忍律師歌詠。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。修正民法草案 明治発行。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。西国巡禮歌圖繪 上中下。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 日本農村教育 (1943年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 工芸と社会 (1947年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。昇平夜話。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。聖道得門。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 産業連関分析 (1969年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。江戸名所図会。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。
出品した「源氏物語」は橋姫(はしひめ)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。橋姫の巻は、源氏の君と女三の御子、薫の君と今上天皇の皇子・匂宮、そして、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮(朱雀天皇の皇太子)を父とする浮舟の恋物語を描いております。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮(朱雀天皇の皇太子)を父とする。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。八の宮の山籠りの留守中に宇治を訪れた薫の君は、有明の月の下で琴と琵琶を合奏する大君と中の君の二人の姫君の姿をかいま見る。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。その気品高い優雅に心ゆらいだ薫の君は応対に出た大君に交誼を申し出るが、代わりに応対に出た弁の君は柏木の乳母子であることを告げたうえ、柏木の遺言を伝えたいと申し出る。画帖 絵 書道。冬十月、宇治を訪れた薫の君に、大君と中の君の姉妹の後見の依頼を受け承諾した。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。その明け方、薫の君は弁の君と対面し自分の出生の秘密を知る。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。その証拠の品である柏木の遺書を読み、自分の薫は出生の秘密を知る。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。しかし、父柏木の顔を知らない。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。だが、親であることは間違いない。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。こまやかな目に見えない愛情の交流を闇の中で手探りをするような心境。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。薫が老女弁の尼にあてた柏木の遺書を読むかびくさい反故の入った袋に入った柏木の遺書「小侍従の君へ」と上書きに記している。【中古】 工芸概論 (1955年)。篆書印は、薫の君の実の父・柏木の乱れた文字にまだ見ぬ父をしのびつつ親の心情を理解する。絵本初心柱立。薫の君は美しい大君に心を動かされ愛情が芽生えていく。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。
原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。薫は出生の秘密を知る。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。しかし、父柏木の顔を知らない。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。だが、親であることは間違いない。【中古】 熱力学 (1971年)。こまやかな目に見えない愛情の交流を闇の中で手探りをするような心境。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。薫が老女弁の尼にあてた柏木の遺書を読むかびくさい反故の入った袋に入った柏木の遺書「小侍従の君へ」と上書きに記している。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。篆書印は、薫の君の実の父・柏木の乱れた文字にまだ見ぬ父をしのびつつ親の心情を理解したものとされている。【中古】 人形に心あり (1956年)。紫式部が「橋姫」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
「橋姫」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。吾嬬路記。
《自筆上部の原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)という漢詩文の落款が押捺されている。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。
この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。
《自筆上部の原本自筆上部に「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)
という漢詩文の落款が押捺されている。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
《「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)
という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 仕事の世界 (1951年)。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。》
《宇治八の宮の物語》
《薫の君、姉妹を垣間見る》
《薫の君、大君と御簾を隔てゝ対面》
《薫の君、宇治へ手紙を書く》
《薫の君、匂宮(今上天皇の皇子)に宇治の姉妹を語る》
《十月初旬、薫の君、宇治へ赴く》
《薫の君、八の宮の娘たちの後見を承諾》
《姫君の御うしろも(後見)にて》・・・・さふらはせ給(たまふ)、
弁の君とそいひける。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。年も六十にすこし足らぬほとなれと、
みやひかにゆゑあるけはひして、ものなと聞こゆ。●極上和本YM3322●女学範 大江玄圃 久川靭負 明和5年 稀書往来物 女訓書 菱屋四郎右衛門板 水戸藩儒・青山家旧蔵書。
故権大納言の君の、世とゝもにものを思ひつゝ、やまひつき、
はかなくなりたまひにしありさまを、聞こえ出て、泣くこと限りなし。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。
「けに、よその人の上と聞かむたに、あはれなるへき古事ともを、
まして、年ころおほつかなく、ゆかしう、いかなりけむことの
初めにかと、仏にも、このことをさたかに知らせたまへと、
念しつる験にや、かく夢のやうにあはれなる昔語りを
おほえぬついてに聞きつけつらむ」
とおほ(思)すに、・・・・《なみた(涙)とゝめかたかりけり。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。
《「源氏物語」橋姫(はしひめ)の巻》
《桐壺天皇の皇太子・八の宮の二人の姫君(大君と中の君)と薫の君(女三の宮の子)の恋物語・自筆「源氏物語」橋姫》
《八の宮(桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子)姫君(大君と中の君を養育)》
《国宝・橋姫の元になる原文・薫の君、大君と中の君の合奏を聴く》
《桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮の娘・大君と中の君の合奏後、薫の君老女房の昔語りを聞く》
《薫の君、弁の君の話(薫の君の出生の秘密を知る)に関心をいだき再開を約す》
《薫の君、桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮と対面、大君と中の君の後見を託される》
《薫の君、弁の君と対面、実父・柏木の手紙を託される》
《さて、その夜明け方の、八の宮(桐壺帝の皇子で朱雀天皇の元皇太子・八の宮)が
お勤行(つとめ)をなさる間に、中将(薫の君)は、
あの老人(おいびと)の弁の君をお呼び出しになりお会いになる。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。
この老人は、姫君(大君と中の君)の御後見として》・・・・仕えさせていらっしゃる
弁の君(女三の宮の侍従の従姉妹で柏木に仕えたの弁の君)という者であった。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。
年も六十に少し足りないくらいであるけれど、都ふうに嗜(たしな)みのある感じがして、
なにかと中将(薫の君)にお話し申しあげる。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。
弁(女三の宮の侍従の従姉妹で柏木に仕えた弁の君)は、故権大納言(柏木)の君が
ずっと物思いに悩みぬいて、そのために病(やまい)になってなくなっておしまいになった
始終を話し申して、どこまでも泣き続けている。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。
中将(薫の君)は、
(薫の君)「いかにも、他人の身の上話として聞いていてさえしみじみと悲しくなるに
ちがいない昔話であるのに、まして長年の間気にかかっていてその真相を知りたいと思っていました。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。
私の出生については疑問に思うところがありましたが、いったい事の起りはなんであったのかと、
仏にもその事情をはっきりお教えくださいとお祈りしていた、その験(しるし)であろうか。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。
こうして夢のように心うたれる昔話を思いがけない機会に聞きつけることができたとは」
とお思いになると、・・・・《涙をとめることもできないのであった。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。》
備考・
美しい大君と中の君の二人の姫君の父・八の宮は、桐壺天皇の皇子であり、朱雀天皇の弟で皇太子でもあった。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。本来なら次期天皇と目されていたが政変により都を離れ宇治に住む。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。
《The Lady at the Bridge(橋姫)》
Her name was Bennokimi, and the Eighth Prince had her in
constant attendance upon his daughters.
Though in her late fifties, she was still favored with the
graces of a considerably younger woman.
Her tears flowing liberally, she told him of what an unhappy life
"the young captain,"
Kashiwagi, had led, of how he had fallen ill and presently
wasted away to nothing.
It would have been a very affecting tale of long ago
even if it had been about a stranger.
Haunted and bewildered through the years, longing to know the facts
of his birth, Kaoru had prayed that he might one day
have a clear explanation.
Was it in answer to his prayers that now, without warning,
there had come a chance to hear of these old matters, as if in a sad dream?
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《橋姫》
老侍女是服侍位女公子的,名叫弁君,
年将近六十,然而度雅,善于。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。
叙述已故柏木大言日夜愁,
以致一病不起之状,哭泣不已。都のてぶり。薰君想道:
“此往事,即使是于他人的,听了也不感慨。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。
何况是我本人多年以来所望知道的。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状 歴史的逸品。
我常向佛祈愿,欲明示当生何事情,
致使吾母出家尼。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。想是佛力,
使我无意中得此机会,听到如梦一般可悲的故事。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。”
他的眼泪就流个不住。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。后来道:“如此看来,
像一知道当年旧事的人,今世有。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。
但不知可又可耻的事,外有人播出去否?
多年以来,我全然不曾听到。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。”弁君答道:
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。【中古】 簿記教科書 (1956年)。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。
左の写真が「源氏物語」橋姫の巻の末尾(原本番号38-B)の押印。古書 江戸時代 貝原篤信 貝原益軒 新編 増補和漢名數 上・下 元禄五年。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。冬姫は内大臣・通誠の養女。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。
冬姫は通称。【中古】 京の町かどから (1962年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 判例婚姻予約法解説 (1935年)。左端の写真は「橋姫の巻」末尾の拡大写真。明治保育文献集 全10冊 岡田正章監。
上の篆書体は、「「半是君詩半是書」(半ばこれ君の詩、半ばこれ君の書)の押印。【中古】 新しい社会と新しい経営 (1957年)。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 演出者の手記 (1948年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。古文書 大徳寺塔頭真珠庵・二十世住持 太室宗宸 直筆書状(室谷仁兵衛・宛)文政京都地震直後の様子を伝える一級史料 巻子仕立 超貴重。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(橋姫の巻)MRI 45―33B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 人物にっぽん音楽誌 明日のために・この12の個性について考える (1963年)。
「源氏物語」「橋姫の巻」主人公・橋姫の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる大君・中の君の姫君と薫の君。【中古】 世界音楽教育史 (1958年)。
「源氏物語絵巻 」橋姫(国宝)琵琶を前にする中の君(左端)と、
琵琶を横に置く大君。【中古】 映画とともに (1953年)。邸の外から二人の姫君を眺めるのが薫の君(右端)
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。英烈遺事。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「橋姫」原本に記されております。私の見た霊界と永生 岩橋武夫 昭10 ヘレン・ケラー エスペラント キリスト教新約聖書神学宗教カトリックプロテスタントルターカルヴァンOF。紫式部が「橋姫」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「橋姫の巻」を書いていることがわかります。【中古】 近代絵画史 (1962年)。この原詩の言葉の引用は、「橋姫の巻」に用いられていることで広く知られている。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。【中古】 経済原論 上巻 (1950年)。
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見一件留帳 54丁 藩主井伊直弼来村⑪ 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240122。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 私の人生探求 (1962年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 日本行刑史 (1961年)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 目標管理システム (1967年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 若者制度の研究 若者条目を通じて見たる若者制度 (1936年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 元文二 古文書。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 民主的社会主義 (1960年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 日本武器概説 (1943年)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 護謨の研究 (1936年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。送料込(沖縄以外) 昭和6年 山陽先生遺墨集 恩賜京都博物館編 2冊 小林寫眞製作所。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 味百年 食品産業の歩み (1967年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 地方財政の理論と実態 (1955年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。フローベール全集 全11冊。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 生活指導の実践過程 (1960年) (現代教育全書)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 成長する会社 (1963年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 宗教学概論 (1960年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 シネクティクス 才能を組織しアイデアを開発する (1964年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。文芸類纂。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 スーパーマーケット 流通革命の先駆者 (1962年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 都市社会学研究 (1959年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。★0522和本江戸嘉永元年(1848)呪い占い護符「増補呪詛調法記大全」全1冊/大江匡弼(大江文坡)/古書古文書/木版摺り。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 中世祭祀組織の研究 (1962年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。貴少!/[大分縣管内之圖・明治中期頃・手写復元]/外表紙付。実母は近衛家女房(瑤林院)。1933年 支那陶窯史 支那陶磁源流圖考 検索⇒ 青瓷 秘色瓷 汝州窯 哥窯 白瓷 官窯 民窯 天目 釉裏紅 兎豪 均窯 影青瓷 定窯 建窯 蘇泥 祭紅。幼名は多治丸。【中古】 産業社会の展開と市民社会 (1964年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。x011 匠家雛形 増補初心伝 6冊揃 大正11年 ■宋栄堂蔵版 和本 古書 建築 大工 規矩術 構法 木割術。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 神の代理人 (1964年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。日本の民俗 全47冊。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 生態系の構造と機能 (1973年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 日本農村社会の構造分析 村落の社会構造と農政滲透 (1954年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 国語アクセント論叢 (1952年)。
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