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新品 :32820121921
中古 :32820121921-1 |
メーカー | 2fd59 | 発売日 | 2025-05-27 10:45 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
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閉じる右が紫の上、左が女三の宮の模型
閉じる源氏の君と紫の上、右下は今上帝の皇后
閉じる高僧の病快復の御修法(みずほ)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)下」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。中原淳一ひまわり附録。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。w200◆化学入門 全10冊揃◆江戸 慶應3~明治3年 蘭学 洋学 桂川甫策 開成所 一貫堂 幕末 維新@和本/古文書/古書。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。法忍律師歌詠。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。修正民法草案 明治発行。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。西国巡禮歌圖繪 上中下。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 日本農村教育 (1943年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 工芸と社会 (1947年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)下」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。昇平夜話。若菜・下の巻名は朱雀院(前朱雀天皇)の五十の御賀があり、源氏の君はその賀宴を「このたび足りたまはん年、若菜など調(てう)じてや」に因む。聖道得門。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。四年の歳月が経過。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。冷泉天皇は在位十八年にして東宮に譲位し今上天皇として即位した。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。【中古】 産業連関分析 (1969年)。源氏の君は六条院の女たちによる「女楽」による演奏の宴を開いた。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。柏木は、女三の宮の姉・女二の宮を正室に迎えたが、女三の宮への未練を断ち切れずにいる。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。夏のある日、源氏の君は女三の宮の体調不良の原因がご懐妊と知り、不審を抱いた源氏の君が柏木から女三の宮あての手紙から柏木と女三の宮の密事が発覚する。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。(女三の宮の子がのちの薫の君)源氏の君、41歳から47歳までを描いている。江戸名所図会。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
「若菜・下」の巻は英文で「New Herbs Part Two」と表記されます。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来している。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。画帖 絵 書道。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 工芸概論 (1955年)。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という若菜・下の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。絵本初心柱立。》
《かき(限)りこそまかてね、》・・・・ほろほろとさわくを、見たまふに、
「さらはかきりにこそは」と、おほし果つるあさましさに、何事かは、たくひあらん。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。
「さりとも、ものゝけのするにこそあらめ。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。いとかう、ひたふるになさはきそ」
と、しつめ給ひて、いよいよいみしき願ともを、立て添へさせ給ふ。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。
すくれたるけんさ(驗者)とものかき(限)りめしあつめて、
「かきりある御命にて、この世つき給ひぬとも、たゝ、今しはし、のとめ給へ。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。
不動尊の御本の誓ひあり。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。その日數をたに、かけとゝめたてまつり給へ」
と、かしらより、まことにくろ(黒)けふりをた(立)てゝ、
いみしき・・・・・・・・《心越(を)をこして、かち(加持)したてまつる。【中古】 熱力学 (1971年)。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《柏木、葵祭りでにぎやかな牛車の響きを聞きながら恋の思いにふける》
《紫の上の体調異変の知らせに二条院が騒ぎたつ》
《紫の上の体調異変の知らせに源氏の君が僧侶に延命のご祈祷を依頼する》
《対の上(紫の上)のお付きの女房たちがみな、自分たちもあとにお残り申すまい、
とばかりに泣きまどう姿は、まったく沙汰の限りというものである。【中古】 人形に心あり (1956年)。
対の上(紫の上)の病気回復を祈る御修法(みずほう)の壇の数々を取り壊して、
僧なども、しかるべき者だけは退出せずにいるが、》・・・・ほかの者たちは、
ばらばらと帰り支度にざわめいている。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。
それをごらんになると、それではとうとうおしまいなのか、
と断念なさる情けなさは、何にたとえられようか。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。殿(源氏の君)は、
(源氏の君)「対の上(紫の上)の病がこうなったとしても、
物(もの)の怪(け)のしわざということがあろう。吾嬬路記。
そうむやみに騒ぎたてるものではない」
とお取り静めになられる。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。
殿(源氏の君)は、これまでにもまして数々の大願を新たにお立てさせになる。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。
すぐれた験者(げんざ)衆のある限りをお召し集めになられる。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。
(高僧)「対の上(紫の上)のご定命が尽きておしまいになられたのだとしても、
ただもうしばらくの間お命をお延ばしくだされ。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。
不動尊の御本誓(ほんぜい)もあることです。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。
せめてその日数だけでもこの世にお引きとどめ申してくだされ」
と、真実、須弥壇から黒煙をたてて、勇猛心を奮い起して
病快復の加持祈祷をして・・・・《さしあげる。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。》
備考1・源氏の君は先天的な優秀性のゆえに帝の寵愛を受けた。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。
備考2:冷泉天皇は桐壺天皇と藤壺中宮の皇子としているが実際は源氏の君と藤壺の皇子。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。東宮(皇太子)は、今上天皇として即位し、今上天皇と明石女御の御子は、源氏の君の孫、のちに次期天皇として即位する未来が開け源氏の君の栄華が際立つ。【中古】 仕事の世界 (1951年)。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
For Genji it was like the end of the world.
He set about quieting the women.
"Some evil power has made it seem that she is dead.
Nothing more. Certainly this commotion does not seem called for."
He made vows more solemn and detailed than before
and summoned ascetics known to have worked wonders.
"Even if her time has come and she must leave us,"
they said, "let her stay just a little longer.
There was the vow of the blessed Acala. Let her stay even that much longer."
So intense and fevered were their efforts that clouds
of black smoke seemed to coil over their heads.
Genji longed to look into her eyes once more.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・下》
只有几个信的和尚不曾走。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。源氏此光景,心知已到最后,
悲之情无可比。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。他:“然已昏死去,定是鬼魂作祟,
不要只管号哭!”他叫人静下来,便向神佛宣立宏誓大愿。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。
又把一切道行高深的法召集来,叫他再做祈祷。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。
僧向神佛告道:“即使命定寿已尽,亦。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。不尊曾有誓,
至少也得延六月。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。”位法振作精神,心祈祷,上好像冒出黑烟。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。冬姫は内大臣・通誠の養女。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。
冬姫は通称。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。正式な名は伊達貞子。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。2つとも貞子の印。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。●極上和本YM3330●新用文章[新板用文障・新板用文章](寛文板系統、有郭・頭書本4種)稀書往来物。
左上端の細長い落款は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩文の印。【中古】 あらびあんないと事典 (1961年)。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。都のてぶり。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状 歴史的逸品。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・下の巻)MRI 35―66B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。
手前の後ろ姿で琵琶を弾いているのが明石の君
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 政府と人民 (1955年) (時代の窓)。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。【中古】 文学の宿命 (1940年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。此花 雅俗文庫 宮武外骨 3,8,6,7,5,9枝 破蕾号 2 洞落号 4枝 10号 合本2冊 浮世絵研究誌。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 吊構造 (1975年)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 コトバことば言葉 (1960年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 経済原論 上巻 (1950年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。撮影後、展示のために再表装をしております。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 日本の映画 (1956年) (三一新書)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 私の人生探求 (1962年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 日本行刑史 (1961年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 目標管理システム (1967年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 日本簿記史談 (1971年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 図説理化実験指導法 (1954年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 若者制度の研究 若者条目を通じて見たる若者制度 (1936年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 元文二 古文書。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 民主的社会主義 (1960年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 日本武器概説 (1943年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 護謨の研究 (1936年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。送料込(沖縄以外) 昭和6年 山陽先生遺墨集 恩賜京都博物館編 2冊 小林寫眞製作所。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 日本上古音楽史 (1935年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【洛座】江戸時代 安永年号 宇佐行事絵巻物等写 諸国生活絵本 古書 3冊<◆748。幼名は多治丸。鈴木重春『番匠秘事』(2冊)正徳4年 須原屋茂兵衛蔵版 お堂の大工雛形集 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 仏教建築。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 新しい写真の考え方 (1957年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 宋明時代儒学思想の研究 (1962年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 雪と岩 (1961年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 味百年 食品産業の歩み (1967年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 地方財政の理論と実態 (1955年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 成長する会社 (1963年)。
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