《New Herbs Part One(若菜・上)》 "You must not let her monopolize it. She is always carrying it around and so she is always having to change to dry clothes. She can come here if she wants to see it." "You are being unkind, and I do not think you have thought things through very carefully. I would have no doubts at all about letting her take a little girl off with her, and we can be much bolder with little boys even when they are princes. Is it your wise view that the two of them should be kept apart?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 映画と民族 (1942年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。中原淳一ひまわり附録。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。w200◆化学入門 全10冊揃◆江戸 慶應3~明治3年 蘭学 洋学 桂川甫策 開成所 一貫堂 幕末 維新@和本/古文書/古書。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。法忍律師歌詠。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。修正民法草案 明治発行。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。西国巡禮歌圖繪 上中下。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。
出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 日本農村教育 (1943年)。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。【中古】 工芸と社会 (1947年)。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。二月に女三宮が六条院に降嫁した。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。昇平夜話。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。聖道得門。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。
自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。【中古】 産業連関分析 (1969年)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。)
「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。江戸名所図会。
自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。
反対側の印は仙台藩医・木村寿禎の落款
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。
《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。》
「いとあやしや。画帖 絵 書道。あなたに此(この)宮をらう(領)したてまつりて、
ふところ(懐)をさらにはな(放)たすもてあつか(扱)ひつゝ、
人やりならす衣も皆濡らして、脱きかへかちなめる。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。
軽々しく、なとかく渡したてまつりたまふ。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。
こなたに渡りてこそ見たてまつりたまはめ」
とのたまへは、
「いと、うたて。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。思ひくまなき御ことかな。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。女におはしまさむにたに、
あなたにて見たてまつりたまはむこそよくはへらめ。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。
まして男は、限りなしと聞こえさすれと、心やすくおほえたまふを。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。
たは(戯)れにても、かやうにへた(隔)てかましきこと、
なさかしかりき(聞)こえさせ給(たまひ)そ」
と聞(きこ)え・・・・《たまふ。【中古】 工芸概論 (1955年)。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。絵本初心柱立。
《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《明石女御(春宮・皇太子の正室)男子を安産にてご出産》
《源氏の君、明石の君と皇太子と明石の女御の皇子を大切にする紫の上について話す》
《(源氏の君)「若宮(皇太子と明石の女御の皇子)はお目覚めですか。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。
わずかの間も、お目にかからないと恋しいものですね」
と申しあげなさると、御息所(明石女御)はご返事も申されないので、御方(明石の君)が
(明石の君)「対(紫の上)へお渡し申されました」
とお申しあげになる。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。》・・・・・
(源氏の君)「それは不都合な。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。あちらでこの若宮(皇太子と明石の女御の皇子)を
独り占めにしてさしあげ、まるで懐から離さずお世話しては、好きこのんで着物もみなよごして、
しきりに脱ぎ替えてばかりいるようです。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。どうしてそう分別なくお渡し申されるのですか。【中古】 熱力学 (1971年)。
こちらに来て、お世話申されるがよいのに」
と仰せになるので、御方(明石の君)は、
(明石の君)「まあ、あまりな。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。お察しのないお言葉ですこと。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。
たとえ女御子でいらっしゃいましたとしても、あちら様(紫の上)で
お世話申しあそばすのがよろしゅうございましょう。【中古】 人形に心あり (1956年)。
なおさらのこと、男御子では、どんなに貴いご身分(将来の天皇)と申しましても、
心安くお世話申せるものと存じあげておりますのに。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。
ご冗談にも、このように隔てがましいことを、変にお気をおまわしになって
お申しあげなさいますな」
と申し・・・・《あげなさる》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。吾嬬路記。
《New Herbs Part One(若菜・上)》
"You must not let her monopolize it.
She is always carrying it around and so she is
always having to change to dry clothes.
She can come here if she wants to see it."
"You are being unkind, and I do not think you have
thought things through very carefully.
I would have no doubts at all about letting her take a little girl off with her,
and we can be much bolder with little boys even when they are princes.
Is it your wise view that the two of them should be kept apart?"
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《若菜・上》
源氏:“小皇子醒了没有?我一刻不,便想念他。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。”
明石女御默默不答。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。明石夫人从帷屏后面答道:
“小皇子紫夫人抱去了。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。”
源氏:“太不成了。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。成天价在那,
小皇子被一人独占了。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。一直抱在中,不肯放手,
弄得衣服都湿透,一件一件地更。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。什率地抱去?
叫到里来看才是。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。”明石夫人答道:“
呀,太不体人了!即使是个皇女,由育也最妥善,
何况是个皇子。【中古】 仕事の世界 (1951年)。身固然高无比,但在那不是很可放心的?
然是笑,也不要分苛刻地冷酷的呀!
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。●極上和本YM3322●女学範 大江玄圃 久川靭負 明和5年 稀書往来物 女訓書 菱屋四郎右衛門板 水戸藩儒・青山家旧蔵書。
冬姫は通称。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。2つとも貞子の印。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―88B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。都のてぶり。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵
猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面
上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)
上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 純潔について (1950年)。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。皇朝史略 8冊。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 御岳の歴史 (1966年)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。m◆6* 補義荘子因 獨見附標 全6冊揃 浪華書肆 前川文栄堂 和本 古書 /P6。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 人物にっぽん音楽誌 明日のために・この12の個性について考える (1963年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 世界音楽教育史 (1958年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 映画とともに (1953年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。英烈遺事。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 政府と人民 (1955年) (時代の窓)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 文学の宿命 (1940年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 経済原論 上巻 (1950年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 日本の映画 (1956年) (三一新書)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 伊勢丹七十五年の歩み (1961年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。吉田兼好『絵入つれつれ草 系図入読僻附』(全2冊揃)元禄7年版後印本(江戸中期刊)徒然草 江戸時代和本。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 人間の壁 中編 (1959年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。太陽 明治28年(創刊号~12号)復刻。。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。神兵稜威考。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見一件留帳 54丁 藩主井伊直弼来村⑪ 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240122。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 私の人生探求 (1962年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 日本行刑史 (1961年)。幼名は多治丸。【中古】 目標管理システム (1967年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 日本簿記史談 (1971年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 図説理化実験指導法 (1954年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 若者制度の研究 若者条目を通じて見たる若者制度 (1936年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 元文二 古文書。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 民主的社会主義 (1960年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。送料込(沖縄以外) 昭和6年 山陽先生遺墨集 恩賜京都博物館編 2冊 小林寫眞製作所。
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