我々が最初に北海道を訪れた昭和41年頃は、まだ道内各地でC55の姿を見ることができた。昭和15年 起重機・鉄道車両 (アルス機械工学大講座) 永雄節郎著・多賀祐重。朝の札幌駅では、満員の通勤列車を牽いて次々とC55が現れたものである。鉄道隧道 鉄道工学講座 分冊5◆佐藤周一郎、鉄道工学会、昭和18年/k843。蘭本線においても多く見られ、不定期急行「石狩」を牽くC55は、函館まで足をのばしていた。大型本 洋書 History of the Union Pacific Railroad in Cheyenne by Robert Darwin 1987年 <ゆうパック>。そんな中にあって、宗谷本線のC55は、あまり目立った存在ではなかったように思える。大正10年 鉄道旅行案内【吉田初三郎 鳥観図他】/鉄道省 YAA2217。C55が牽く列車は、札幌一種内間の夜行急行「利尻」、小樽一種内間の普通列車の2往復しかなく、わざわざ稚内付近まで行く人も少なかった。昭和48年[木曽の森林鉄道(傷み)]上松運輸営林署王滝線。しかしいつしか我々は、最北の地を行くC55たちが、函館本線や室蘭本線を走る仲間たちとは別の魅力を持っていることに気がついた。東京駅丸の内駅舎 保存・復原 2012年 東日本旅客鉄道。それは列車本数の少なさを補って余りあるものだったのである。☆ 鉄道資料! 【東京鉄道局教習所】 第4回業務科本科生徒 受業日誌 大正10年 ☆彡。