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新品 :32820147759
中古 :32820147759-1 |
メーカー | 57976de7386b | 発売日 | 2025-06-14 22:13 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる年光東流水(年光東流の水)漢詩文・白楽天
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる左・真木柱の姫君・右・髭黒大将
閉じる北の方から香炉の灰をあびる髭黒大将
閉じる髭黒大将の背中に灰をあびせる北の方
閉じる中央・真木柱の姫君
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。西国巡禮歌圖繪 上中下。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。現在の今上天皇と系譜がつながっている。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 日本農村教育 (1943年)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 工芸と社会 (1947年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。昇平夜話。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。聖道得門。また、各巻ごとの書かれた年については不明。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。従って、応永五年とは、書き始めの年である。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 産業連関分析 (1969年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。江戸名所図会。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。画帖 絵 書道。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。第31帖。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。【中古】 工芸概論 (1955年)。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。絵本初心柱立。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。白楽天の有名な漢詩です。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。【中古】 熱力学 (1971年)。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。詳細な理由は下記説明欄に記載。【中古】 人形に心あり (1956年)。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《こと(事)を》・・・・・い(言)ひさまた(妨)けんも人の
こゝろ(心)を(置)くへし、とおほ(思)せは、「ともかくも、
もとよりしむたい(進退)ならぬ人の御事なれは」とそ、
き(聞)こえ給ける。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。六条殿そ、いとゆくりなくほい(本意)なしと
おほ(思)せと、なとかはあらん。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。女も塩やく煙のなひ(靡)きける
かた(方)を、あさましとおほ(思)せと、ぬすみもてい(行)き
たらましとおほ(思)しなすら(准)へて、いとうれ(嬉)しく
心ち(地)おちゐぬ。【中古】 仕事の世界 (1951年)。かの入ゐ(居)させ給へりしこと(事)を、
いみしうゑんしき(聞)こえさせ給ふも、心つきなく、
なをなをしきこゝち(心地)して、よ(世)には心と(解)けぬ
御もてなし、いよいよけしき(気色)あし。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。
かの宮にも、さこそたけうのた・・・・・・《まひしか》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《髭黒大将、尚侍の君(玉鬘の姫君)を宮中から退出させ自宅に招き入れる》
《穏やかにこしらえ言をお申しあげになって、大将(髭黒大将)は、
女君(玉鬘の姫君)をそのままさっさとお邸にお引き取りになる。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。
女君(玉鬘の姫君)の父内大臣は、突然のことなので、
(内大臣)「こうした略儀ではどうだろうか」
とお気になさるけれども、しいてそれくらいのことに》・・・・・異議をとなえるのも
大将(髭黒大将)が気をわるくするだけのこととお思いになって、
(内大臣)「どうなりと、よろしいように。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。もともと私の自由にならないお人なのですから」
とご返事申されるのであった。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。
六条の大臣(源氏の君)のほうは、まことに不意のことでご不満であるけれども、
どうなるものでもあるまい。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。女(玉鬘の姫君)も、塩やく煙のなびくことになって
しまった意想外なわが身の上を嘆かわしくお思いになるけれど、
ひとり大将(髭黒大将)は、大事な宝を盗み取ってでもきたような思いがして、
じつにうれしく、やっと気持も落ち着いた。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。
あの、帝(冷泉天皇)が女君(玉鬘の姫君)のお部屋にお入りあそばしたことについて、
大将(髭黒大将)がひどくいやみを申しあげなさるのも、女君(玉鬘の姫君)には
不愉快であるし、この夫(髭黒大将)がおもしろみのない平凡な人のように思われるので、
まったく心を閉ざしてよそよそしくおあしらいになり、
いよいよご機嫌わるくしておいでになる。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。
あの式部卿宮(髭黒大将の正室・北の方の父君)家でも、
あれほど強いことを・・・・・《おっしゃったものの、今となってはどうしてよいか
ひどく困っていらっしゃるけれど、大将(髭黒大将)からはまるで音沙汰がない。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
Though Tono Chujo thought it all rather sudden and unceremonious,
he did not want to risk offending Higekuro.
"Do as you see fit," he said.
"I have not had a great deal to do with her plans."
Genji was startled but helpless.
The lady was a little startled herself at the direction in
which the smoke was blowing.
Higekuro was enjoying the role of lady stealer.
She thought he had behaved very badly,
showing his jealousy of the emperor so openly.
A coarse, common sort of man―she made less attempt than
ever to hide her distaste.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
反正此事非我所能左右。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。”源氏之,得此事唐突,
殊非始料所及,但也不便干。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。
玉蔓想起自身像上的青烟一般“随泊”,
自命苦。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。但髭黑大将佛盗取了一个美人来,非常喜,
心意足。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。了冷泉帝晤玉鬘之事,髭黑大将常嫉。●極上和本YM3330●新用文章[新板用文障・新板用文章](寛文板系統、有郭・頭書本4種)稀書往来物。
玉鬘此不快,看不起髭黑的人品,
从此他度冷淡,心更加劣了。【中古】 あらびあんないと事典 (1961年)。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。都のてぶり。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。
冬姫は通称。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状 歴史的逸品。正式な名は伊達貞子。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 簿記教科書 (1956年)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―32B
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 演出者の手記 (1948年)。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。私の見た霊界と永生 岩橋武夫 昭10 ヘレン・ケラー エスペラント キリスト教新約聖書神学宗教カトリックプロテスタントルターカルヴァンOF。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 近代絵画史 (1962年)。白楽天の有名な漢詩です。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 経済原論 上巻 (1950年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。吉田兼好『絵入つれつれ草 系図入読僻附』(全2冊揃)元禄7年版後印本(江戸中期刊)徒然草 江戸時代和本。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 人間の壁 中編 (1959年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。太陽 明治28年(創刊号~12号)復刻。。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。神兵稜威考。撮影後、展示のために再表装をしております。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見一件留帳 54丁 藩主井伊直弼来村⑪ 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240122。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 元文二 古文書。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 民主的社会主義 (1960年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 日本武器概説 (1943年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 護謨の研究 (1936年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。送料込(沖縄以外) 昭和6年 山陽先生遺墨集 恩賜京都博物館編 2冊 小林寫眞製作所。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 日本上古音楽史 (1935年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【洛座】江戸時代 安永年号 宇佐行事絵巻物等写 諸国生活絵本 古書 3冊<◆748。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。鈴木重春『番匠秘事』(2冊)正徳4年 須原屋茂兵衛蔵版 お堂の大工雛形集 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 仏教建築。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 新しい写真の考え方 (1957年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 宋明時代儒学思想の研究 (1962年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 雪と岩 (1961年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 味百年 食品産業の歩み (1967年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 地方財政の理論と実態 (1955年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。フローベール全集 全11冊。幼名は多治丸。【中古】 生活指導の実践過程 (1960年) (現代教育全書)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 成長する会社 (1963年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 宗教学概論 (1960年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 シネクティクス 才能を組織しアイデアを開発する (1964年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。文芸類纂。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 スーパーマーケット 流通革命の先駆者 (1962年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 中世祭祀組織の研究 (1962年)。
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