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新品 :3282032290
中古 :3282032290-1 |
メーカー | 9a15f1c | 発売日 | 2025-05-21 09:02 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」白楽天の落款
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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「蛍(ほたる)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 5行循環 (1972年) (藤田六朗論考集 第4集 )。
「蛍の巻」は、3代将軍家光の長女千代姫が婚礼調度として持参した国宝「蛍の調度」は、「源氏物語絵巻・蛍」に依拠することで知られております。【中古】 宗教学精要 (1955年)。原文は「源氏物語・蛍の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 新染色学 (1961年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。書画真正落款譜。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 体系社会心理学 (1957年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 近代フランス社会主義の潮流 (1960年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。HH-5238 ■送料無料■ 法華要解 全7冊揃え 明治16年 仏教 宗教 経本 教本 妙法蓮華経 出雲寺 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。日本品行論。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。為永春水作 歌川国貞画『厚化粧万年島田』(20冊=初編〜十編)明治元年蔦屋吉蔵 明治時代和本 合巻 草双紙/絵草紙 彩色木版画 浮世絵 錦絵。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。円朝全集 全15冊。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。笠井潔伝奇小説集成 全5冊 笠井潔。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。明張介賓類註 類経圖翼11巻 類経附翼4巻 合本10冊 木版画多数 検索 和本 唐本 明版 古代 医学書 医学 古文書。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 行動科学事典 (1966年)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。増谷文雄著作集 全12冊 増谷文雄。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 雨雀自伝 (1953年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 財政学 (1954年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。『燕石雑志』 曲亭馬琴 文化8年 5巻 全6冊 随筆。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 関税の知識 (1963年) (日経文庫)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 日本政党史 上 下巻 (1927年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 私の見た裸のジャイアンツ (1961年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。LL-5294 ■送料無料■ 蕙斎麁画四編 全 江戸時代 北尾政美 鍬形蕙斎 木版画 浮世絵 絵画 美術 画集 和書 本 古本 古書 古文書 /くYUら。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。写本 藤堂高兌『聿脩録』(全二巻揃・五分冊)戦前期成立 藤堂高虎伝 伊勢津藩第十代藩主 三重県郷土史料。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 或る男の首 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 232)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。十三朝紀聞。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。中国古代官職 唐管鈔 上中下合本1冊揃 寶暦3年文泉堂初刷 検索 和本 唐本 古文書 法律 古文書。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。葛飾北斎『北斎臨画初篇』江戸後期刊 江戸時代和本 彩色木版画譜 題箋及び序は「北渓漫画初篇 全」魚屋北渓。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。出羽國亀田藩6代藩主 岩城隆恭(改名前書:隆光⇒隆恭)『家臣宛て書状』〔紙本肉筆真作〕/大名 古文書 詩文 家臣 神谷軍隊長 松館。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 積極的生き方の魔術 (1966年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 心理科学における個人的記録の利用法 (1970年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 われ等の新兵器 (1942年)。
出品した「源氏物語」は蛍(よこぶえ)の内容の要旨
「蛍の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 物質の哲学的概念 (1958年)。第25帖。【中古】 共産世界とどうつき合うか 新時代の東西関係 (1964年)。光源氏36歳の5月の話。令義解 十冊揃い。五月雨の頃、兵部卿宮から玉鬘に文が届き、源氏はそれに返事を書かせた。諸礼大学。喜び勇んで六条院にやってきた兵部卿宮の前で、源氏は几帳の内に隙を見て袋に入れて隠していたホタルを解き放ち、その光で玉鬘の姿を浮かび上がらせて見せた。【中古】 地方公営企業論 (1965年)。予想以上の美しさに心を奪われた兵部卿宮は想いを和歌で訴えるが、玉鬘はつれなくあしらうだけだった。【中古】 日本食肉史 (1956年)。その美しさにますます夢中になってしまう。★B20和本江戸安永9年(1780)木版本「古今和歌集」乾坤2冊揃い/古書古文書/木版摺り。この逸話から、兵部卿宮は蛍宮、蛍兵部卿宮等と呼ばれる。【中古】 技術革新の普及過程 (1966年)。蛍兵部卿宮は変わらず熱心に玉鬘に恋文を送ってきていた。【中古】 ヨッフェ回想記 (1963年)。源氏は一計を案じ、蛍兵部卿宮に色よい返事を書かせる。【中古】 マッテイ 国際石油資本への挑戦者 (1969年) (世界の企業家 7 )。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた蛍兵部卿宮は、源氏が隠れているとも知らず、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座した。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。几帳の内にホタルを放ち、玉鬘の姫君の美しさを際立たせる方法は広く知られている。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。
自筆原本上部に「蛍(ほたる)」には、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。【中古】 映画と民族 (1942年)。源氏の君が蛍を放って玉鬘の姫君の美しさを蛍兵部卿に見せたことに由来しております。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。「蛍」の巻の原文には、「おどろかしき光見へは、宮ものぞきたまはん」とある。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。五月の晩、源氏の君は玉鬘の身辺に蛍を放ちほのかな光の中に玉鬘の姿を映しだす有名な場面です。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。玉鬘の姫君の美しさを中国の楊貴妃を並ぶ絶世の美女と称される王昭君の美しさを現したものです。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。王昭君は、漢の王宮の絶世の美女なのに、匈奴との外交のため遠く胡国の匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。中原淳一ひまわり附録。白楽天の五言絶句「王昭君」の漢詩で詠われている。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。「玉鞍」は、ヒスイの宝石で作った鞍です。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。現代語訳にすると「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。」というものです。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。紫式部が「蛍」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。w200◆化学入門 全10冊揃◆江戸 慶應3~明治3年 蘭学 洋学 桂川甫策 開成所 一貫堂 幕末 維新@和本/古文書/古書。詳細な理由は下記説明欄に記載押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
「蛍」の巻は英文で「Fireflies」と表記されます。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。
《自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。)
「自筆原本」
自筆右下四つの印のうち上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。法忍律師歌詠。
下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印自筆上部の「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。修正民法草案 明治発行。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。西国巡禮歌圖繪 上中下。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。》
「にほとりにかけ(影)をなら(並)ふるわか(若)こまは
いつかあやめにひきわか(別)るへきあいたちなき
御こと(言)ゝもなりや。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。あさ(朝)夕のへた(隔)てあるやうなれと、
かくて見たてまつ(奉)るは心やす(安)くこそあれ」と、
たはふ(戯)れことなれと、のとやかにおはする人さまなれは、
しつまりてきこ(聞)えなし給ふ。【中古】 日本農村教育 (1943年)。ゆか(床)をはゆつ(譲)り
きこ(聞)え給て、御きちやう(几帳)ひ(引)きへた(隔)てゝ
おほとの(大殿)こも(籠)る。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。け(気)ちか(近)くなとあらん
すち(筋)をは、いとに(似)けなかるへきこと(事)に、
思ひはな(離)れはてきこ(聞)え給へれは、あなかちにも
きこ(聞)え給はす。【中古】 工芸と社会 (1947年)。なかめ(長雨)、
れい(例)の年よりもいたくして、・・・・《は(晴)るゝかた(方)なく》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。
《「源氏物語」蛍(ほたる)の巻》
《源氏の君が直衣の袖に蛍を隠し姫君の部屋の前で光を解き放つ有名な場面》
《源氏の君が放つ蛍の光に驚く姫君を描いた「源氏物語」の有名な場面を記した原文》
《五月五日、端午の節句・宮中での競射と競馬を源氏の君が玉鬘の姫君と見学する》
《玉蔓(たかずら)の姫君・住吉物語に夢中になる》
(源氏の君)「雌雄(しゆう)並んで離れぬ鳰鳥(におどり)のように、
あなた(花散里)と影を並べる若駒のわたし(源氏の君)は、
いつ菖蒲のあなたと別れることがあろうか」
どうもあけすけなお二人のお歌ではある。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。
(源氏の君)「朝夕いつもごいっしょというのでもないあなたとの仲ですが、
それでもこうしてお目にかかれると気が休まります」
と、冗談をおっしゃりながらも、女君(花散里)がおっとりとして
いらっしゃるお人柄なので、しんみりとお話しになる。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。
この御方(花散里)は、御帳台(みちょうだい)を大臣(源氏の君)に
お譲り申しあげなさって、御几帳を間に隔ててお寝みになる。昇平夜話。
大臣(源氏の君)のおそばに共寝するなどということはまったく不似合いの
こととあきらめきっていらっしゃるので、
大臣(源氏の君)も無理にお誘い申すこともなさらない。聖道得門。
長雨が例年よりもひどく続いて、・・・・・《空も心も晴れ間がなく
所在ないので、御方々(明石御方・明石の姫君・玉鬘の姫君)は、
絵や物語などの慰みごとに夜を明かし日を暮していらっしゃる。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。
《Fireflies(蛍)》
"I do not see as much of you as I would wish, but I do enjoy you."
There was a certain irony in the words,
from his bed to hers, but also affection.
She was a dear, gentle lady.
She had let him have her bed and spread quilts for herself
outside the curtains.
She had in the course of time come to accept such arrangements
as proper, and he did not suggest changing them.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《蛍》
无甚特色,源氏却得很可怜,便和唱道:
“君似菖蒲草,我身是水菰。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。
溪常并茂,永不菖蒲。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。”
首都是肺腑之言。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。源氏花散里笑:
“我和然不常面,不共枕席,但如此叙晤,
反而得安心。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。”原来花散里人和光同,
所以源氏可以衷曲。江戸名所図会。
把自己的寝台源氏,自己睡在帷屏外面。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。
早就断念,自己是不配和源氏共寝的,
所以源氏也不勉。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」蛍の巻の末尾(原本番号21-B)右面と左面の押印。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。
冬姫は通称。画帖 絵 書道。正式な名は伊達貞子。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。左端の写真は「蛍の巻」末尾の拡大写真。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。
左上の篆書体は、「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、
馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》と読み、意味は「王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた」という篆書印の内容です。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。
篆書体の右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(蛍の巻)MRI 25―12B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・蛍の調度品」の資料
下記写真は、源氏の君が兵部卿のために袋にいれた蛍を御簾の中に入れる場面を記しています。【中古】 熱力学 (1971年)。
左が玉鬘の君、右が兵部卿。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。右下の玄関から様子を伺っているが源氏の君
上記絵巻は、「源氏の放った蛍の光により玉鬘の君美しさに感動する兵部卿
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。
源氏物語「蛍」の巻の原本に記されております。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。紫式部が「蛍」を書くに際し、「白楽天・漢詩集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「蛍の巻」を書いていることがわかります。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。この原詩の言葉の引用は、「蛍の巻」に用いられていることで広く知られている。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。
《「王昭君払玉鞍上馬啼紅頬」《王昭君(おうしょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く》の篆書体(てんしょたい)体の漢詩文の落款が押捺されている。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。撮影後、展示のために再表装をしております。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 簿記教科書 (1956年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。古書 江戸時代 貝原篤信 貝原益軒 新編 増補和漢名數 上・下 元禄五年。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 京の町かどから (1962年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 判例婚姻予約法解説 (1935年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。明治保育文献集 全10冊 岡田正章監。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 新しい社会と新しい経営 (1957年)。幼名は多治丸。【中古】 演出者の手記 (1948年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。古文書 大徳寺塔頭真珠庵・二十世住持 太室宗宸 直筆書状(室谷仁兵衛・宛)文政京都地震直後の様子を伝える一級史料 巻子仕立 超貴重。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 宗教哲学 (1955年) (現代キリスト教シリーズ 第9 )。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 純潔について (1950年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。皇朝史略 8冊。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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