《Channel Buoys (澪標)》 He smiled to think what this first grandchild would mean to the old man, how busy and self-important he would be. No doubt it told of events in a former life (and the thought brought twinges of conscience), that she meant so much to Genji himself. Over and over again he told the nurse that he would not be quick to forgive lapses and oversights. "One day this sleeve of mine shall be her shelter Whose years shall be as the years of the angel's rock." They hurried to the Harima border by boat and thence by horse. The old man was overjoyed and there was no end to his awed gratitude. He made obeisance in the direction of the capital.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。明張介賓類註 類経圖翼11巻 類経附翼4巻 合本10冊 木版画多数 検索 和本 唐本 明版 古代 医学書 医学 古文書。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 行動科学事典 (1966年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。増谷文雄著作集 全12冊 増谷文雄。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 雨雀自伝 (1953年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 財政学 (1954年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。『燕石雑志』 曲亭馬琴 文化8年 5巻 全6冊 随筆。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 関税の知識 (1963年) (日経文庫)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 日本政党史 上 下巻 (1927年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 私の見た裸のジャイアンツ (1961年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。LL-5294 ■送料無料■ 蕙斎麁画四編 全 江戸時代 北尾政美 鍬形蕙斎 木版画 浮世絵 絵画 美術 画集 和書 本 古本 古書 古文書 /くYUら。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。写本 藤堂高兌『聿脩録』(全二巻揃・五分冊)戦前期成立 藤堂高虎伝 伊勢津藩第十代藩主 三重県郷土史料。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 或る男の首 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 232)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。十三朝紀聞。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。中国古代官職 唐管鈔 上中下合本1冊揃 寶暦3年文泉堂初刷 検索 和本 唐本 古文書 法律 古文書。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。葛飾北斎『北斎臨画初篇』江戸後期刊 江戸時代和本 彩色木版画譜 題箋及び序は「北渓漫画初篇 全」魚屋北渓。また、各巻ごとの書かれた年については不明。出羽國亀田藩6代藩主 岩城隆恭(改名前書:隆光⇒隆恭)『家臣宛て書状』〔紙本肉筆真作〕/大名 古文書 詩文 家臣 神谷軍隊長 松館。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 積極的生き方の魔術 (1966年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 心理科学における個人的記録の利用法 (1970年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 われ等の新兵器 (1942年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 物質の哲学的概念 (1958年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【中古】 共産世界とどうつき合うか 新時代の東西関係 (1964年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。令義解 十冊揃い。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。諸礼大学。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 地方公営企業論 (1965年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 日本食肉史 (1956年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。★B20和本江戸安永9年(1780)木版本「古今和歌集」乾坤2冊揃い/古書古文書/木版摺り。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 技術革新の普及過程 (1966年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 ヨッフェ回想記 (1963年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 マッテイ 国際石油資本への挑戦者 (1969年) (世界の企業家 7 )。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。第14帖。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。【中古】 映画と民族 (1942年)。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。中原淳一ひまわり附録。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。w200◆化学入門 全10冊揃◆江戸 慶應3~明治3年 蘭学 洋学 桂川甫策 開成所 一貫堂 幕末 維新@和本/古文書/古書。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。法忍律師歌詠。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。【中古】 日本農村教育 (1943年)。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 工芸と社会 (1947年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。》
《ほゝゑま》・・・・れたま(給)ふ事おほ(多)く、また(又)、あはれに、
心くるしうも、たゝ、このことの御心にかゝるも、
あさ(浅)からぬにこそは。昇平夜話。御ふみ(文)にも、「おろかにもてなし
思ふまし」と、かへすかへす、いましめ給へり。聖道得門。「いつしかも
袖うちかけんをとめこか世をへてなつるいは(岩)のおひさき」
つ(津)のくに(国)まては、舟にて、それよりあなたは、むま(馬)にて、
いそきゆ(行)きつきぬ。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。入道、ま(待)ちとり、よろこ(喜)ひかしこまり
きこ(聞)ゆること(事)、かき(限)りなし。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。そなたにむ(向)きて、
おか(拝)みきこ(聞)えて、ありかた(難)き御心はへを思ふに、
いよいよいたはしう、おそ(恐)ろしきまて思ふ。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。ちこの、
いとゆゝしきまて、うつくしうおはする・・・・《こと(事)、たくひ(類)なし。【中古】 産業連関分析 (1969年)。》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《あちら(明石)では明石入道が姫君(明石の姫君)をどんなにか
たいせつにかわいがっているだろうと、その様子を思いやるにつけても、
源氏の君はほほえまれず》・・・・・にはいらっしゃれないことも多く、
同時にまた、しみじみとおいたわしくこの未来の后となる明石の姫君のことばかりが
お心から離れないのも、浅からぬ御情けというものであろう。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。
女君(明石の君)へのお便りにも、
(源氏の君)「姫君(明石の姫君)をけっしておろそかに扱ったりはせぬように」
と、くれぐれもお戒めになる。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。
(源氏の君)「早くこのわたしの袖で撫(な)でてあげたいものです。江戸名所図会。
天女が長い年月その羽衣(はごろも)で撫(な)でる岩のように生い先長い姫君を」
摂津国までは船で、それから先は馬を用いて、急いでかの浦に行き着いた。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。
入道は待ちかねるようにして宣旨の娘の乳母(めのと)を迎え、源氏の君の
ご処置を喜んでこのうえもなく感謝申しあげる。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。
明石の入道は、京の方に向って礼拝して、またとない源氏の君のお志を思うと、
姫君(明石の姫君)がいよいよ大事で、おそろしいもののようにさえ思われる。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。
未来の后となるこの幼児(おさなご)がじっさいまがまがしいくらいに
かわいらしくていらっしゃることは、・・・・・《たとえようもない。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。
《Channel Buoys (澪標)》
He smiled to think what this first grandchild would mean
to the old man, how busy and self-important he would be.
No doubt it told of events in a former life
(and the thought brought twinges of
conscience), that she meant so much to Genji himself.
Over and over again he told the nurse that he would not be
quick to forgive lapses and oversights.
"One day this sleeve of mine shall be her shelter
Whose years shall be as the years of the angel's rock."
They hurried to the Harima border by boat
and thence by horse.
The old man was overjoyed and there was no end
to his awed gratitude.
He made obeisance in the direction of the capital.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
同想起了生在偏僻地方的儿,又得很可怜,
因此念念不忘,可知前生宿不浅!在函中,
也再三叮嘱他悉心照料儿。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。附一首:
“朝朝祝福生女,早早相逢入我。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。”
乳母乘出京城之后,改乘船舶,来到津国的波,
再改乘匹,迅速到了明石浦。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。
明石道人迎乳母,如至宝。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。承蒙源氏公子美意,
感不尽。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。他向着公子所在的京都方面,合掌礼拜。【中古】 工芸概論 (1955年)。
看公子如此儿,便更加可,更加委屈了。絵本初心柱立。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。
冬姫は通称。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。正式な名は伊達貞子。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 熱力学 (1971年)。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 人形に心あり (1956年)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―9B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。●極上和本YM3330●新用文章[新板用文障・新板用文章](寛文板系統、有郭・頭書本4種)稀書往来物。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 あらびあんないと事典 (1961年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。都のてぶり。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 簿記教科書 (1956年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。明治保育文献集 全10冊 岡田正章監。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 新しい社会と新しい経営 (1957年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 演出者の手記 (1948年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。古文書 大徳寺塔頭真珠庵・二十世住持 太室宗宸 直筆書状(室谷仁兵衛・宛)文政京都地震直後の様子を伝える一級史料 巻子仕立 超貴重。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 宗教哲学 (1955年) (現代キリスト教シリーズ 第9 )。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 純潔について (1950年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。皇朝史略 8冊。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 御岳の歴史 (1966年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。m◆6* 補義荘子因 獨見附標 全6冊揃 浪華書肆 前川文栄堂 和本 古書 /P6。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。☆E0116和本江戸期田沼意知暗殺写本「始末太平記」5冊揃い/古書古文書/手書き/天明七年御買上米一件/田沼意次。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。古今合璧事類備要 附索引 全4冊 中文 宋・謝維新撰。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 人物にっぽん音楽誌 明日のために・この12の個性について考える (1963年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 世界音楽教育史 (1958年)。幼名は多治丸。【中古】 映画とともに (1953年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。英烈遺事。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 政府と人民 (1955年) (時代の窓)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 文学の宿命 (1940年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。此花 雅俗文庫 宮武外骨 3,8,6,7,5,9枝 破蕾号 2 洞落号 4枝 10号 合本2冊 浮世絵研究誌。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 吊構造 (1975年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 近代絵画史 (1962年)。
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