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新品 :3282058203
中古 :3282058203-1 |
メーカー | fad18e6ff | 発売日 | 2025-05-18 23:21 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 新染色学 (1961年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。書画真正落款譜。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 体系社会心理学 (1957年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 近代フランス社会主義の潮流 (1960年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。HH-5238 ■送料無料■ 法華要解 全7冊揃え 明治16年 仏教 宗教 経本 教本 妙法蓮華経 出雲寺 和書 本 古本 古書 古文書 /くJYら。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。日本品行論。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。為永春水作 歌川国貞画『厚化粧万年島田』(20冊=初編〜十編)明治元年蔦屋吉蔵 明治時代和本 合巻 草双紙/絵草紙 彩色木版画 浮世絵 錦絵。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。円朝全集 全15冊。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。笠井潔伝奇小説集成 全5冊 笠井潔。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。明張介賓類註 類経圖翼11巻 類経附翼4巻 合本10冊 木版画多数 検索 和本 唐本 明版 古代 医学書 医学 古文書。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 行動科学事典 (1966年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。増谷文雄著作集 全12冊 増谷文雄。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 雨雀自伝 (1953年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 財政学 (1954年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。『燕石雑志』 曲亭馬琴 文化8年 5巻 全6冊 随筆。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 関税の知識 (1963年) (日経文庫)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 日本政党史 上 下巻 (1927年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 私の見た裸のジャイアンツ (1961年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。LL-5294 ■送料無料■ 蕙斎麁画四編 全 江戸時代 北尾政美 鍬形蕙斎 木版画 浮世絵 絵画 美術 画集 和書 本 古本 古書 古文書 /くYUら。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。写本 藤堂高兌『聿脩録』(全二巻揃・五分冊)戦前期成立 藤堂高虎伝 伊勢津藩第十代藩主 三重県郷土史料。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 或る男の首 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 232)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。十三朝紀聞。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。中国古代官職 唐管鈔 上中下合本1冊揃 寶暦3年文泉堂初刷 検索 和本 唐本 古文書 法律 古文書。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。葛飾北斎『北斎臨画初篇』江戸後期刊 江戸時代和本 彩色木版画譜 題箋及び序は「北渓漫画初篇 全」魚屋北渓。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。出羽國亀田藩6代藩主 岩城隆恭(改名前書:隆光⇒隆恭)『家臣宛て書状』〔紙本肉筆真作〕/大名 古文書 詩文 家臣 神谷軍隊長 松館。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 積極的生き方の魔術 (1966年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 心理科学における個人的記録の利用法 (1970年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 われ等の新兵器 (1942年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 物質の哲学的概念 (1958年)。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 共産世界とどうつき合うか 新時代の東西関係 (1964年)。第14帖。令義解 十冊揃い。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。諸礼大学。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。【中古】 地方公営企業論 (1965年)。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。【中古】 日本食肉史 (1956年)。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。★B20和本江戸安永9年(1780)木版本「古今和歌集」乾坤2冊揃い/古書古文書/木版摺り。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。【中古】 技術革新の普及過程 (1966年)。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。【中古】 ヨッフェ回想記 (1963年)。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。【中古】 マッテイ 国際石油資本への挑戦者 (1969年) (世界の企業家 7 )。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 映画と民族 (1942年)。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。中原淳一ひまわり附録。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。法忍律師歌詠。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。修正民法草案 明治発行。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。西国巡禮歌圖繪 上中下。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。》
《しけ(繁)く、所》・・・・せ(狭)き御身に、おほ(思)しはゝか(憚)るに
そ(添)へても、めつらしく御め(目)おとろ(驚)くこと(事)のなきほと(程)、
思ひしつめ給ふなめり。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。五月雨、つれつれなるころ(頃)、おほやけ(公)わたくし(私)物
しつ(静)かなるに、おほ(思)しおこしてわた(渡)り給へり。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。
よそなからも、あ(明)けく(暮)れにつけて、よろつにおほ(思)しやり
とふらひきこ(聞)え給ふをたの(頼)みにて、すくいたま(給)ふ所なれは、
いま(今)めかしう心にくきさま(様)に、そはみうらみ給ふへきならねは、
こゝろ(心)やすけなり。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。としころ(年頃)に、いよいよあ(荒)れまさり、
すこけにておはす。【中古】 日本農村教育 (1943年)。女御の君に御物かたり(語)きこ(聞)え給て、
にし(西)のつま(妻)・・・・《と(戸)には》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君・花散里(桐壺天皇の中宮の妹)を訪問》
《源氏の君は、あれこれ政務もお忙しく、不自由な高いご身分から、
お出歩きを自重しておいでになるうえに、あちらからも目新しくお気持をひくような
お便りがないので、君(源氏の君)もそのまま腰をすえておられるようである。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。
五月雨(さみだれ)の所在ないころ、公私ともにお暇なので、》・・・・お思い立ちになって
お出かけになった。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。君(源氏の君)ご自身のお越しはなくても、明け暮れにつけて
何かとお心をくばり世話しておあげになるのを頼りとして暮していらっしゃる所である。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。
だから、当世ふうに思わせぶりをして、すねたりうらんだりなさるわけもなくて、
君(源氏の君)は気がねもなさそうである。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。年ごろますます荒れていって、
いかにももの寂しく過しておいでになる。昇平夜話。
まず女御(にょうご)の君(花散里の姉・桐壺天皇の中宮・麗景殿の女御)に
対面申しあげなさって、西の妻・・・・・《戸に、ことさら夜の
更(ふ)けるのを待ってからお立ち寄りになる。聖道得門。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。
《Channel Buoys (澪標)》
《Then came the long rains of early summer to lay a pall
over things》… and bring a respite from his duties.
He roused himself for a visit.
Though she saw little of him, the lady was completely
dependent on him; but she was not of the modern sort,
given to outpourings of resent ment.
He knew that she would not make him uncomfortable.
Long neglected, her house now wore a weirdly ruinous aspect.
As usual, he first looked in on her sister, and
late in the night moved on to the lady's own rooms.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
他公事很忙,身又高,行不免有所忌。【中古】 産業連関分析 (1969年)。
加之花散里并无何等惹心目之,
因此不甚介。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。五月里淫雨,公私都很空,
寂寞无聊之,有一天他忽然想起了,便出去。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。
源氏公子然疏花散里,然而心的一切日常生活,
花散里全靠他的照度日。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。因此久重逢,
花散里度仍很切,并无怨恨之色,
源氏公子便安心。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。的屋子年来更加荒了,
住在那里想必凄凉。江戸名所図会。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。
冬姫は通称。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。画帖 絵 書道。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―15B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 熱力学 (1971年)。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。●極上和本YM3322●女学範 大江玄圃 久川靭負 明和5年 稀書往来物 女訓書 菱屋四郎右衛門板 水戸藩儒・青山家旧蔵書。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。撮影後、展示のために再表装をしております。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状 歴史的逸品。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 簿記教科書 (1956年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。古書 江戸時代 貝原篤信 貝原益軒 新編 増補和漢名數 上・下 元禄五年。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 京の町かどから (1962年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 判例婚姻予約法解説 (1935年)。幼名は多治丸。明治保育文献集 全10冊 岡田正章監。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 新しい社会と新しい経営 (1957年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 演出者の手記 (1948年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。古文書 大徳寺塔頭真珠庵・二十世住持 太室宗宸 直筆書状(室谷仁兵衛・宛)文政京都地震直後の様子を伝える一級史料 巻子仕立 超貴重。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 宗教哲学 (1955年) (現代キリスト教シリーズ 第9 )。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 純潔について (1950年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 御岳の歴史 (1966年)。
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