管理番号 |
新品 :3282079715
中古 :3282079715-1 |
メーカー | 79cff15369 | 発売日 | 2025-06-01 17:57 | 定価 | 25000円 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる春帰留不得紫藤花下着漸黄昏の漢文
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる匂宮・住吉如慶・自筆
閉じる国宝・今上帝と薫の君の囲碁
閉じる国宝の拡大(左上・今上帝、右下・薫の君)
閉じる左・薫の君、右・大君と中の君
閉じる左・匂宮(今上帝の皇子)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「匂宮(におうのみや)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 行動科学事典 (1966年)。
原文は「源氏物語・匂宮の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。増谷文雄著作集 全12冊 増谷文雄。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 雨雀自伝 (1953年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 財政学 (1954年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。『燕石雑志』 曲亭馬琴 文化8年 5巻 全6冊 随筆。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 関税の知識 (1963年) (日経文庫)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 日本政党史 上 下巻 (1927年)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 私の見た裸のジャイアンツ (1961年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。LL-5294 ■送料無料■ 蕙斎麁画四編 全 江戸時代 北尾政美 鍬形蕙斎 木版画 浮世絵 絵画 美術 画集 和書 本 古本 古書 古文書 /くYUら。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。写本 藤堂高兌『聿脩録』(全二巻揃・五分冊)戦前期成立 藤堂高虎伝 伊勢津藩第十代藩主 三重県郷土史料。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 或る男の首 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 232)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。十三朝紀聞。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。中国古代官職 唐管鈔 上中下合本1冊揃 寶暦3年文泉堂初刷 検索 和本 唐本 古文書 法律 古文書。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。葛飾北斎『北斎臨画初篇』江戸後期刊 江戸時代和本 彩色木版画譜 題箋及び序は「北渓漫画初篇 全」魚屋北渓。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。出羽國亀田藩6代藩主 岩城隆恭(改名前書:隆光⇒隆恭)『家臣宛て書状』〔紙本肉筆真作〕/大名 古文書 詩文 家臣 神谷軍隊長 松館。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 積極的生き方の魔術 (1966年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 心理科学における個人的記録の利用法 (1970年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 われ等の新兵器 (1942年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 物質の哲学的概念 (1958年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 共産世界とどうつき合うか 新時代の東西関係 (1964年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。令義解 十冊揃い。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。諸礼大学。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 地方公営企業論 (1965年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 日本食肉史 (1956年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。★B20和本江戸安永9年(1780)木版本「古今和歌集」乾坤2冊揃い/古書古文書/木版摺り。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 技術革新の普及過程 (1966年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 ヨッフェ回想記 (1963年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 マッテイ 国際石油資本への挑戦者 (1969年) (世界の企業家 7 )。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。
出品した「源氏物語」は匂宮(におうのみや)の内容の要旨
「匂宮の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。第42帖。【中古】 映画と民族 (1942年)。光源氏なき後の子孫とその縁者の後日談を書く。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。巻名は本文の「世人は匂ふ兵部卿、薫る中将と聞きにくく言ひつづけて」に因む。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。本来の題は「匂兵部卿(におうひょうぶきょう)」で、「匂宮」は略称。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。匂宮は元服して兵部卿となり、紫の上の二条院を里邸としている。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。夕霧は匂宮を婿にと望みもするが、自由な恋愛を好む当人にはその気がない。中原淳一ひまわり附録。その夕霧は、落葉の宮を六条院の冬の町に迎え、三条殿に住まう雲居の雁のもとと一日交代に月に十五日ずつ律儀に通っている。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。六条院は、今は明石の中宮の子たちの大半が住んでいる。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。夏の町に住んでいた花散里は二条院の東の院へ、女三宮は三条宮へそれぞれ移っている。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。一方薫は、冷泉院と秋好中宮に殊更に可愛がられ育てられ、元服後は官位の昇進もめざましい。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。しかし、漠然ながら自分の出生に疑念を感じていた薫は、人生を味気なく思い、悶々と出家の志を抱え過ごしていた。w200◆化学入門 全10冊揃◆江戸 慶應3~明治3年 蘭学 洋学 桂川甫策 開成所 一貫堂 幕末 維新@和本/古文書/古書。不思議なことに、薫の体には生まれつき仏の身にあるといわれる芳香が備わっていた。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。匂宮は対抗心から薫物(たきもの)に心を砕き、このため二人は世間から「匂ふ兵部卿、薫る中将」と呼ばれる。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。薫20歳の正月、夕霧は六条院で賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)を催した。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。匂宮はもちろん、薫も出席し、華やかな宴となる。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。
「匂宮(におうのみや)」自筆原本の上部には、原本自筆上部に匂宮(におうのみや)」には、「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。言葉の意味は、「帰りゆく春を留めることはできない。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。紫の藤の花のもと、次第に深まるたそがれ」である。法忍律師歌詠。「匂宮」の巻の原文には「春の花の盛りには、けに長からぬにしも、おほえまさるものとならん」と記されております。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。解読すると「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされるというものである」となる。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。源氏の君をとりまく人々、特に六条院の紫の上の面影をおりにつけ思いだしている。修正民法草案 明治発行。特に源氏の君と女三の宮の子・薫の君は紫の上の面影をいつも心の底に刻みこまれている。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。西国巡禮歌圖繪 上中下。特に紫の藤の花を篆書の中に入れているのは、白楽天の詩文をよく読みこんでいることがわかる。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。紫式部が「匂宮」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
「匂宮」の巻は英文で「His Perfumed Highness」と表記されます。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。)
「自筆原本」
自筆右下2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。聖道得門。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。
《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏》という篆書印が押捺されている。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。言葉の意味は「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。【中古】 産業連関分析 (1969年)。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。》
《こと(事)にふ(触)れ》・・・・ても、人のありさま(有様)を
聞き見奉るに、けにいとなへてならす、心にくゝゆえしき
御もてなしかき(限)りなきを、おな(同)しくは、けに
かやうならむ人をみ(見)んにこそ、い(生)けるかき(限)りの
心ゆくへきつまなれ、と思ひなから、大かたこそへた(隔)つる
事なくおほ(思)したれ、姫宮の御かた(方)さまのへた(隔)ては、
こよなくけ(気)とお(遠)くな(慣)らはさせたま(給)ふも、
ことわりにわつらはしけれは、あなかちにもまし(交)らひ
よ(寄)らす、もし心より外の心もつかは、我も人もいとあしかるへき
こと(事)、ゝ思ひし(知)りて、ものなれよ(寄)ることもなかりけり。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。
わ(我)かかく人にめ(愛)てられんと、・・・・・《なり給へる》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。
《「源氏物語」匂宮(におうのみや)の巻》
《薫の君の御元服・右近中将に昇進》
《冷泉帝と秋好中宮・薫の君を大切にし急ぎ昇進させる》
《十九歳の薫の君・実父を柏木と知り悲哀と鑑賞にひたる》
《匂う中将(今上帝の皇子・匂宮、薫る中将と並び称される》
《十九歳の薫の君・帝(今上天皇)や后(秋好中宮)に大切にされる》
《中将(薫の君)は、三の宮(今上天皇の皇子・匂宮)が
年のたつにつれていよいよご執心でいらっしゃるらしい冷泉院の
姫宮(前冷泉天皇・冷泉院の女一の宮)の御あたりを見るにつけても、
同じ院の内で明け暮れお出入りしていらっしゃる
ので、》・・・・何かの折に、そのご様子をお聞きしたり拝見したりすると、
(薫の君)「噂どおりほんとに並み一とおりでなく奥ゆかしく、
よくおできになっていらっしゃる御物腰は申しぶんがない。江戸名所図会。
同じことなら、いかにもこのような方と連れ添うのが、
生涯楽しく暮らしてゆくことのできる頼りとなるのだろう」
とは思いながらも、そのほかのたいていのことは分け隔て
あそばすことなくかわいがってくださるものの、
姫宮(前冷泉天皇・冷泉院の女一の宮)の御方との隔てだけは
常にこのうえもなく遠ざけていらっしゃる、それももっともな
ことだし、またやっかいな気もするので、無理におつきあいを
求めて近づこうともしないでいる。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。
もし、予想もしなかったような気持が起こってきたなら、
こちらにとってもあちらにとってもまったく不都合な結果になるだろう、
そのことがよくわかっているので、世なれたふうに近づくこともないのであった。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。
中将(薫の君)ご自身が、こうして人に
もてはやされるために・・・・・《生まれてこられたような人柄なので、
ちょっとしたかりそめの言葉をおかけになった女も、
まったく相手にしないというような気持ではいられなくて
すぐさまなびいてくるというふうだから、しぜんに、
その時々の通り一遍の通い所も数多くなる。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。》
備考・「源氏の君」は、准太上天皇であったため、薫の君は、源氏の君の子として皇子(みこ)と同じ扱いになる。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。
《His Perfumed Highness(匂宮)》
All of it suggested that she was a very unusual lady,
indeed a lady in whom, were he interested in marriage himself,
he might find the most fascinating possibilities.
In all else completely open and unreserved,
the Reizei emperor chose to surround his daughter
with stern barriers.
Kaoru thought this not at all unreasonable of him,
and made no effort to force his way through.
He was a very prudent young man who did not choose
to risk unpleasantness for himself or for a lady.
Because he was so universally admired,
ladies were not on the whole disposed to ignore his notes.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《匂皇子(匂宮)》
他想:“欲娶妻,但得如此一人做伴,可以身无憾了。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。”
冷泉院薰中将,在一般事情上,他毫无隔。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。
惟有大公主的居,防范非常。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。原是理之当然。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。
薰中将深恐惹事,并不求近。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。他想:
“万一生了意外之事,己人都很不利。【中古】 工芸概論 (1955年)。”
因此并不去近。絵本初心柱立。只是他生来相貌人喜,
所以他一个女子只要略有几句言,
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」匂宮の巻の末尾(原本番号15-A)の押印。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。
冬姫は通称。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。正式な名は伊達貞子。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。【中古】 熱力学 (1971年)。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 人形に心あり (1956年)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(匂宮の巻)MRI 42―11B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、囲碁をする今上帝(今上天皇)と薫の君。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。右端の上が今上帝(今上天皇)、右下が薫の君。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。左は天皇お付の女房たち
上記絵巻は、囲碁を楽しむ今上天皇と薫の君。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。
《「春帰留不得紫藤花下着漸黄昏」《花帰りて留(とど)め得ざるを紫藤の花下(かか)漸(ようや)く黄昏(こうこん)》という篆書印が押捺されている。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。言葉の意味は、「春の花の盛りには、いかにも久しからぬもの、それゆえにこそ、かえってもてはやされる」というものである。●極上和本YM3330●新用文章[新板用文障・新板用文章](寛文板系統、有郭・頭書本4種)稀書往来物。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 あらびあんないと事典 (1961年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。都のてぶり。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 簿記教科書 (1956年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【中古】 新しい社会と新しい経営 (1957年)。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 演出者の手記 (1948年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。古文書 大徳寺塔頭真珠庵・二十世住持 太室宗宸 直筆書状(室谷仁兵衛・宛)文政京都地震直後の様子を伝える一級史料 巻子仕立 超貴重。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 宗教哲学 (1955年) (現代キリスト教シリーズ 第9 )。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 純潔について (1950年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。皇朝史略 8冊。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 御岳の歴史 (1966年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。m◆6* 補義荘子因 獨見附標 全6冊揃 浪華書肆 前川文栄堂 和本 古書 /P6。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。☆E0116和本江戸期田沼意知暗殺写本「始末太平記」5冊揃い/古書古文書/手書き/天明七年御買上米一件/田沼意次。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。古今合璧事類備要 附索引 全4冊 中文 宋・謝維新撰。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 人物にっぽん音楽誌 明日のために・この12の個性について考える (1963年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 世界音楽教育史 (1958年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 映画とともに (1953年)。幼名は多治丸。英烈遺事。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 政府と人民 (1955年) (時代の窓)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【中古】 文学の宿命 (1940年)。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。此花 雅俗文庫 宮武外骨 3,8,6,7,5,9枝 破蕾号 2 洞落号 4枝 10号 合本2冊 浮世絵研究誌。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 吊構造 (1975年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 コトバことば言葉 (1960年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定